奏でる人

今日は、わたしの母のことをお話します♪

母は、歌とともに生きて来た人。

北海道の旭川市は、音楽がとても盛んな地域です。そんな町で生まれ育った母は、子どもの頃から合唱団に所属をし、大学では音楽科の声楽を専門として、歌とともに生きる人になりました。

子育てのために一度は家庭に入りましたが、40歳を過ぎた頃からコーラスの講師となり、ママさんコーラスやシニアのクラスなど、たくさんの教室を持つようになりました。

敬老の日には、シニアのコーラスグループが集まり歌うイベントがあるのですが、そこで300人もの大人数に対してタクトを振ることもありました。母はその年齢の女性にしては背が高く、ステージ衣装に身を包み指揮をする姿は、憧れでもありました。

80歳になり、コーラスの指導も後進に委ねることで教室の数こそ減りましたが、今も現役の音楽教師なのです。55歳のわたしが、まだまだひよっこに思えるほどです。


その母が原因不明の肺炎になりました。
入院した当初は、酸素飽和度も80%を下回るほど状態は悪く、回復したとしても、日常的に酸素ボンベが必要となるとのことでした。
母はもう歌えないのかもしれません。


父も音楽教師でした。破天荒な人で母は苦労が多かったようですが、とても仲の良い両親だったと思います。その父は、亡くなって12年になります。
病床で弱気になっている母は、父にもう会いたくなってきているのだろうと思っていました。


たぶん、それだけではないのです。
歌とともに生きていたいのでしょう。
音楽とともに。


それなら元気になるしかありません。
幸い、ピアノも琴もたしなむ母です。
奏でるものは声だけではありませんから。

そうやって生きてほしいのです。
響き伝う音と、奏でる体のある限り。

昨日、母に会って来ました。プライドが高く、弱気を見せることの苦手な人です。話をしているうちに、何かに火がついたのでしょう。目に光が戻り、母らしい前向きな言葉が返ってきました。

きっともう大丈夫です。会いに行ってよかったと思いました。

このご時世で、大切な人になかなか会えない日々が続いています。人は体だけで生きているのではありませんね。心が生かしているのだとすれば、長く会えていない人には、会いに行った方がいい。

そんなことも思った、とてもよい旅でした。


おまけ。

JRで帰るつもりが、悪天候のために運休となってしまいました😞バスもレンタカーも予約がいっぱいだったので、飛行機で帰って来ました。

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ずっと雲の中のようなフライトでした✈️ラピュタの龍の巣のようでワクワクしてしまいます🤗機長さんは素晴らしい技術で安心飛行をしてくれました。

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