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キスしてください、聖女様~策士な年下王子様の甘く蕩ける初恋戦略~ 発売記念ss「あの子の宝箱」

 ハニーサックルの生垣をくぐり、レッドはデイジーと共に『妖精の隠れ家』をちらりと見上げた。
「外装はそう変わっていないな」
 つぶやくレッドを、デイジーはちらりと見る。
「私だけでもいいですよ? 長官はお忙しいでしょ」 
 物品目録を手にしながらデイジーが言う。フィニアスとアイリーンの結婚に伴い、二人の愛の巣は、ここから王宮に移動する。今日はその引越しの下準備だった。
 レッドの傷心(?)を気遣うデイジーに、微笑んで見せる。
「気遣いは無用さ。王室の物品をきちんと管理するのも仕事だからね」
「ええ、まぁ……あとであるないの大騒ぎになっては大変ですからねっ」
 デイジーは腕まくりをして、妖精の隠れ家へと踏み込んだ。
 以前から隠れ家に通っているデイジーは、どうという事もない顔で目録をチェックしはじめた。が、初めてこの愛の巣に足を踏み入れたレッドはしげしげと内装を眺めた。
(ブルーで統一……それにこのシャンデリアは)
 大きくはないが、ゆったりとした水色の布が張られたソファは、地味だが一流のものであると見てとれた。レッドはディジーの目録をちらりと見た。
(ソファは……カニウッツ製のものか)
 高名な家具職人の手によるものだ。そしてソファの上に下げられているシャンデリアも、小さいが美しい光を投げかけ、部屋全体のトーンを明るくシックに演出していた。
(どれも派手なものではないが……機能的で美しい。長く愛されるような佳品だ)
 見回してみると、この部屋にあるものすべてが、そんなものたちでいろどられ統一されていた。カーテンも、テーブルも、何気ない燭台でさえも、それぞれが選び抜かれた一品だった。
「なかなか良い趣味をしているな、殿下は」
 さすがのレッドも、彼の審美眼を認めざるをえなかった。長く部屋に縛り付けられて過ごす療養生活が、彼のその目を養ったのだろうか。
(たしかに……部屋から出れなければ、その部屋を居心地よくしたいと思うのは当然のこと)
 華美なものではないが、時間と手間をかけて作られた、生活を豊かにしてくれるものたち。
 使いやすく美しいそれらを眺めていると、この空間で生活していたであろうアイリーンが目に浮かんだ。
 シャンデリアの下のソファに、ちょこんと座るアイリーン。
 思わずレッドの頬に笑みが昇る。
(なるほど……この隠れ家に、殿下は自分の大好きな、お気に入りのものだけを並べてしまっておいた、と)
 この空間に、一番のお気に入りであるアイリーンを住まわせて、悦に入っていたのだろう。
(なるほど……なるほど、ね)
 たしかに、こんな隠れ家、男ならだれでも欲しいだろう。そう思って、レッドは少し鼻白む。
(俺としたことが……あんな年下の殿下をうらやむとはね)
 レッドが考えていると、ふとデイジーが確認している水色のカップが目に入った。ロイヤルブルーに金の紋。特別な茶器だろう。
「これは……王室ご用達カップか」
 するとデイジーは首を振った。
「いいえ。これ、よく見ると王家の紋章じゃないんですよ。ほら」
 デイジーが指さした先を見ると、たしかにカップの紋章は王家のものではなく――うさぎをかたどったものだった。
「うさぎ?」
 そういえば、彼の病室に、うさぎのぬいぐるみがおいてあったような気がする。
「ええ。うさぎです。なんでも殿下は、小さいときにアイリーンにうさぎのぬいぐるみをもらったそうで。それ以来うさぎがお好きなんだとか」
――それで、こんなカップまで、一流の職人に作らせたと。
 彼のあまりもの思い入れように、レッドは肩をすくめそうになった。
 ものすごい執念だ。しかし考えてみたら、彼は子どもの時からアイリーンが好きだったのだろう。
(アイリーンが自分の担当聖女じゃなくなっても、俺と付き合っている時も――ずっと、ずっと好きだったのか)
 こんな隠れ家をこさえるくらいに。こんなカップを作るくらいに。
 そう気づくと、レッドの胸に痛みが走るとともに――何かつきものでも落ちたような、そんな気持ちになった。
(これは、俺の負けだな)
 彼女にプロポーズできなかったこの男より、長年の想いを、満を持して成就させた殿下の方が、よほど粘り強かったのだ。
「ああ、完敗だとも」
 そうつぶやくと、デイジーが振り返る。
「何か?」
 きょとんとする彼女に、レッドは微笑んだ。
「いいや、なんでもないよ、デイジー」
 その顔を見て、デイジーは安心したように軽くうなずいた。
 ――彼女には、いささか心配をかけてしまった。何かフォローしなくては、と長官としての気遣いがふと顔を出す。
「君には気をまわさせたね。今度何か礼をしなくては」
 するとデイジーは肩をすくめた。
「いつも通りお仕事してくれれば、それで」
 そっけない態度をとられると、逆に口説いてみたくなる。レッドはデイジーを見たが、彼女はつれない。
「そう言わずに。俺と君も、もう長い付き合いじゃないか」
 少し食い下がると、デイジーはようやっと小さい声で言った。
「……それじゃ、マーケット。行ってみたいです。女一人じゃ入りにくい店もあるから」
「よし、それなら今度の週末だね」
 するとデイジーは、はい、と短く言った。しかしその口のはしには可愛らしい笑みが浮かんでいた。
 久しぶりに、レッドは胸が弾むのを感じた。男はいくつになっても――デートにさそってYESをもらえると、嬉しくなってしまう生き物なのだ。
「楽しみにしていてくれ。おいしいディナーをごちそうするよ」
 さっきは落ち込んでいたくせに、そんな調子のよい事を言っている。レッドは自分に少しあきれたが、これでいい、とも思った。
 そう――だって、これからも人生は、続いていくのだから。

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