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この世で一番気持ちいい

『婚約破棄られ令嬢ですが鎧兜の美男旦那様と幸せに暮らします!』発売記念SSになります!

「はじめまして、アンドリュー様。わたくしのことは、どうぞブリジットとお呼びください」
 同い年の、10をいくらか過ぎた少女は、アンドリューを前にして完璧なお辞儀をし、挨拶をした。
(なんだ……こいつ)
最初一目見た時から、アンドリューはブリジットの事が気に入らなかった。理知的な笑み、賢そうなまなざしに、清楚で品のある装い。すべてが。
だがことに気に入らないのは、彼女は。
「アンドリュー様、そんなことをしては風邪をひいてしまいますわ、心配です」
「アンドリュー様、私と一緒に図書室へ行ってはみませんか」
「アンドリュー様……」
 アンドリューのする悪事やさぼりをすべて、ブリジットは明確に拒否はせず、やんわりとやめさせようとする。
(さかしい女だ、とことん好かない)
 おそらく、気に食わないことがあるとすぐに怒り出すアンドリューの性格を踏まえての事だろう。
 強要はしないで、思い通りに自分を操ろうとしているのだ。
(くっ……その手には乗るものか)
 だからアンドリューはとことん抵抗した。差し出すブリジットの手を払いのけ、踏みつけにし、嘲笑した。
「なんで婚約者というだけで、お前の言うことを聞かないといけないんだ?」
「さかしい目で俺を見るな。お前がいるだけで腹が立つ」
「出ていけ、俺の前に顔を出すな」
 彼女とて、深窓の令嬢。ここまでコケにされれば傷つき、アンドリューに対してにこにこする気もなくなるだろう。そしてそのまま、婚約破棄になればいいのに。
 しかしある日アンドリューは見てしまった。父と彼女が話しているのを。
「ブリジット、アンドリューとはどうかね」
「……あまり私を、気に入ってはいらっしゃらなくて。陛下、申し訳ございません」
 普段アンドリューには厳しい父が、ブリジットにそう聞いているのを見て、アンドリューは物陰に息をひそめて続きを待った。すると父はため息をついた。
「……あれも何が不満なのか。このように賢く美しい姫を選んでやったというのに」
 すると同席していたブリジットの父が口をはさむ。
「ブリジット、殿下の前で出過ぎた口をきいてはいないか? 家庭教師や乳母ではないのだから、もっと親しく、うちとけて接しないと」
「よいよい。妻になるのだから、あれが好んで相手にする浮かれ女のようにする必要などない。賢いそなたにはあれをしっかりと導いていってほしいのだ」
 するとブリジットは控えめにうなずいた。
「……努力いたします」
 そこまで聞いて、アンドリューは走って庭に出た。
(……努力いたしします、だって!?)
 ――知ってはいた。父が自分の事を、出来の悪い息子とみなしていることを。
 家庭教師や乳母の言いつけに従わず、好き勝手に遊びまわって、誇れる特技の一つもない自分に、失望していること言うことを。
(だからって……だからって、あんな女にまで、それを言うなんて!)
 アンドリューの馬鹿を治してほしい。つまりブリジットは父にそう言われて、アンドリューの婚約者としてやってきていたのだ。
(絶対に、あいつのいうことなんて聞いてやるもんか。受け入れるものか!)
 全身全霊でそう決めて、アンドリューは王宮の中庭の木に登って姿をかくした。
 もうここから出ていかない。みんなで慌てて、自分を探し回ればいいのだ。

 しかしどうしたことか、いつまでたっても誰も探しにこない。庭も王宮も静まり返っていて、とうとう日が落ちてきた。
(どうしよう……)
 このまま何食わぬ顔をしておりていくか。しかしそれでは、あまりにもみっともない。空が暗くなって、夜風がこずえの木々を揺らす。寒さを感じてアンドリューは自分の肩を抱いた。
……さすがに、心細くなってきたその時。がさっと音がして、アンドリューははっと下を覗き込んだ。きぃきぃと梯子をきしませて、ブリジットがアンドリューのいる枝まで登ってきたのだった。
「お前……!」
「アンドリュー様、ここにいらしたんですね」
 ご無事でなにより、と言いながら、ブリジットはランタンの明かりをかざした。
「お夕食が準備できていますわ。どうぞ降りていらして」
 やっと降りれる。それに、空腹だった。しかしアンドリューはやせ我慢をして、そっぽを向いた。
「いらない。出ていけ」
「そうおっしゃらずに、どうか」
 頼むように言うブリジットの声が、癇に障る。
「放っておいてくれ。お前も本当はそうしたいはずだろう」
「あら、そんなことありませんわ。こんな場所にいらっしゃるのは心配です」
 しらじらしいその言葉に、アンドリューはついカッとなった。
「どの口が。父上に命令されて、いやいや俺を追い掛け回しているくせに」
 言ってしまって、後悔する。
 自分はできの悪い王子だと思われていることが身にしみて、アンドリューはいっそうみじめになる。
 そのみじめさをごまかすように、アンドリューはブリジットに暴言を吐いた。
「ああ、こんなかわいげのない醜い姫が婚約者だなんて。俺はこの国いち不幸な男だ。そうだろ!」
「それは申し訳ありません」
 しかし、どんなけなし言葉を吐いても、ブリジットの顔色はかわらない。いつものように微笑んでいるだけだ。
 その悟りすましたような顔を見ると、ますます腹の底が煮え立つ。
――少しは怒ったり泣いたりすれば、まだかわいげがあるものを!
 この鉄面皮の、化けのかわをはいでやりたい。アンドリューは彼女のいる梯子に手をかけた。
「そうだ、この梯子、おもいっきり押してやろうか。お前がまっさかさまに落ちて死ぬように」
脅すつもりだったのに――だがブリジットは、顔色ひとつかえず、首をかしげただけだった。
「それだと、アンドリュー様が下りられなくなってしまいますわ。それに――下で陛下も、お待ちですのよ」
 その言葉に、今度はアンドリューの方が青くなった。
「し、下に父上が!? なぜ早く言わない」
「今お伝えしましたわ。さ、おりましょう、殿下」
 彼女は、アンドリューが何を言っても動じない。それを悟ったアンドリューは、燃えるような怒りを抱えたまま、梯子を下りた。
(くそっ、いつか、いつかお前にほえ面をかかせてやる!)

 だから、あのパーティで婚約破棄を告げた時、アンドリューは最高に興奮した。
 アンドリューにしては頑張って、愛人ミルラと共に綿密に計画を立て、根回しをして臨んだのだ。
 ただ婚約破棄を告げるだけでは、ブリジットからは何一つ奪えず、顔色一つかえないに違いない。だから、偽の愛人を仕立て上げ、彼女の名誉を汚し、さらに醜い野蛮人との婚姻を用意し、彼女の帰る場所も奪った。
 ブリジットを貶め零落させる、完璧な計画だった。
「いい顔だなぁブリジット! 教えてやろう、お前の未来の旦那様の名前は――北の野獣、アドトリス公ディアミッドだ!」
 そう告げた瞬間、ブリジットの白い頬は青ざめ、いつも冷静な光をともしていたその目が、絶望に見開かれる。
 アンドリューは恍惚とし、叫んだ。
「あはははは! せいぜい貧しい雪国で、野獣の夫と仲良くするんだな! 悪女のお前にはそれがお似合いだ!」
 ブリジットが儚くよろける。
 もっと絶望すればいい。もっと悔しがればいい。
(そう、そうそう――!
俺はずっと、お前のその顔がみたかったんだよ!)

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