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やりたいことが分からないのは、やりたいことを探しているから。

ホンネを「探求」しようなんて

言っている僕が言うのもおかしいですが、

「探求」

そのものは、ゴールではないのです。

だからいつも講座でお話しするのです。

「探求を目的にしないでください」

と。

あくまでゴールは

「実践」

です。

「やってみる」ということですね。

そう思うと、

「ホンネ探求」

という言い方がちょっと間違っているのかもしれない。

むしろ

「ホンネを感じて動く」

というほうが近いんですね。

まず、「やってみる」

それに対して

「しっくりきた」のか

「かなり違和感」なのか、

「だいぶ違和感」なのかを

また「感じる」。

ぶっちゃけ、その繰り返しです。

だから

「やってみないと、わからない」

です。

当たり前ですよね。

レモンを食べたことのない人は、

レモンの酸っぱさは分からない。

毛布を触ったことのない人は、

毛布の気持ちよさは分からない。

童貞くんには、

セックスの快感は分からないのです。

この世は、

「やってみて、はじめてわかる」

ことだらけです。

しかし、

「そもそも何をやってみればいいか分からない」

という状態になっている方もいらっしゃいます。

これが、現代人のおそろしさというか、

GHQにやられた弊害なのか、

そのあたりはかなり「マヒ」してしまっているのです。

その「マヒ」してガチガチになった心を

たがやして、掘り起こして、フワフワにしていくのが

「ホンネ探求」

ですね。

しかし「固まった土をほぐす」のは

目的やゴールではないのです。

「こころ」という土壌をホリホリして、

サツマイモを見つけたり、

ときにダイヤモンドが埋まっていたり、

モグラに出会ってみたり、

「体験を増やしていく」

ことに意味があるのです。

その中から、

「私は、このミミズが宝物」とか

「大根が埋まっていた!これを探していた!」

「最高のアリの巣を見つけた!」

とか、

「これだ!」

と思うものが見つかってくるのです。

「マヒ」というのは、

からだの症状でもいちばん怖いのです。

痛みがあるうちは、まだいい。

しかし「感じない」となると、

これはなかなか大変です。

土の上を、

「アスファルト」や「コンクリート」

で塗り固めたら、

「土の中」

のことは、何もわからなくなってしまう。

地中に「宝物」が埋まっていても、

「ない」

ことになってしまうんです。

だから、「マヒ」は危険です。

こころも、からだも。

ただし、この文章を読んで、

「ドキッ」
「グサッ」
「ズキンッ」

となる方は、まだ全然だいじょうぶです。

そこに「響き」がある以上、

こころの奥の

「やりたいこと」

がちゃんとうずいているのです。

アスファルトに、まだスキマがあります。

そこをこじ開ければ、「ホンネの声」が聴こえてきます。

その「ホンネの声」は、今は小さいかもしれない。

でも、言い訳をせずに、

ていねいに、その「声」を拾っていると、

どんどん聞こえるようになってきます。

それこそが「ホンネ探求」の価値ですね。

そして小さくとも「声」が聴こえたのなら、

「ホンネの声に従う」

ことです。

ホンネが聴こえてきても、

「まったく実行、実践しない」

のならば、

それは

「聴いていない」

のと同じです。

アスファルトのスキマが閉じてしまう。

「声」が聴こえたら、

それ以上、「探す」ことをやめてみて、

いったん「声」に従い、行動する。

すると、さらに「スキマ」が広がってきます。

けれども、その「声」に従うのが怖くて、

つい「他にホンネがないか」と、

また探してしまう方もいる。

そこが「モヤモヤが続く」ポイント

なんですね。

ほんと、マジでココです。

「やるか、やらないか」

それだけです。

人生のマップ全体が見えなくとも、

「小さなヒント」を手掛かりに、

冒険をはじめることはできます。

そして、その都度「村人」にヒントを聴いて、

敵を倒しつつ、レベルをあげて、

新しい武器も手に入れて、

だんだんと「マップを開拓」していけばよいのです。

とにかく「小さな一歩を踏み出す」。

それこそが

「やりたいことを見つける」

最重要項目である、

ぼくは、そのように考えています(^-^)

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