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新課程国語で論理・文学の二分問題を議論する前に #国語教育

「論理」「文学」の二分について、2023年1月25日に発信した私見を加筆修正したもの。2022年より実施の新課程高校国語における「論理国語」「文学国語」を巡る議論について。

ちなみに私も、過去に別のブログで似たような記事を書いたことがある。


はじめに

ブログ内でも言及しているが、本稿および上記ブログで言及する「論理・文学の二分問題」とは、

  新課程高校国語で論理と文学を二分するかのような教育課程の問題

をさす。厳密には、
・「論理国語」「文学国語」という科目としての二分
・「論理」「文学」の概念上の二分
の二種類が混在しているため、両者をできる限り区別するのが議論を整理するうえで有益だろう。

なお、私個人の中で、この議論はもう決着がついている。それは
・科目としての二分は科目設定上の便宜的な理由。
・概念上の二分は厳密には困難だが、概念考察のために分割は不可避。
というもの。科目についての詳細はこちら(新学習指導要領解説)をお読みいただきたい。概念上の考察も今回は割愛する。

というのも、本稿の主題はタイトル通り、

  この問題を議論する前に議論すべき点があるでしょう?

というものだからだ。

二分問題を議論する前にリテラシーの議論を

新課程国語の学習指導要領には、高等学校の国語科の目標として以下のような記述がある。

言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に 表現する資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
(1)  生涯にわたる社会生活に必要な国語について,その特質を理解し適切に使うことが できるようにする。
(2)  生涯にわたる社会生活における他者との関わりの中で伝え合う力を高め,思考力や 想像力を伸ばす。
(3)  言葉のもつ価値への認識を深めるとともに,言語感覚を磨き,我が国の言語文化の 担い手としての自覚をもち,生涯にわたり国語を尊重してその能力の向上を図る態度 を養う。

【国語編】高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説
https://www.mext.go.jp/content/20210909-mxt_kyoiku01-100002620_02.pdf

端的に言って、国語科の目標は「国語力」、すなわち「言葉による見方・考え方を働かせ,言語活動を通して,国語で的確に理解し効果的に 表現する資質・能力」の向上なのである。
巷で議論になる定番文学教材も実用文も、はたまた古文漢文も、本質的には上記の国語力向上の手段でしかない。

なのだが、新課程国語においては定番文学教材が前面に押し出され、上記の国語的な資質能力に関する議論がなおざりになっている印象を受ける。

冒頭の論理・文学の二分問題の議論に絡めていえばこうだ。

両者の二分問題を議論したければすればいいが、これまでの国語教育は「論理国語」が求める国語力を担保してきたの?という問いに答えるのが先では?

というのが私の考え。

国語の議論が資質能力よりもコンテンツ優先になっているから議論が錯綜するのだろう。

論理国語は評論系の非文学的文章の読解が原則。素朴に考えて文学的文章に長けた人間すべてが評論系の読解に長けているとみなすのは相当な論理飛躍である。

なぜ共通テストの国語が評論と小説の両方を出題しているか?
両者の読解力の違いを認め、両者を測定するために決まっているだろうに。

学習指導要領解説にも書いているが、論理国語という非文学的文章特化の科目を作成したのは、国語関係者の多くが文学的文章読解に特化した教育実践ばかり精力的に展開してきたから。
挙句にPISA調査で不振、RSTで誤答続出、さらに読書どころか行政支援の文章すら読めず困窮する大人が増えている。指導要領解説では以下のような書き出しで新課程誕生の経緯が書かれている。

今の子供たちやこれから誕生する子供たちが,成人して社会で活躍する頃には,我が国 は厳しい挑戦の時代を迎えていると予想される。生産年齢人口の減少,グローバル化の進 展や絶え間ない技術革新等により,社会構造や雇用環境は大きく,また急速に変化してお り,予測が困難な時代となっている。また,急激な少子高齢化が進む中で成熟社会を迎え た我が国にあっては,一人一人が持続可能な社会の担い手として,その多様性を原動力と し,質的な豊かさを伴った個人と社会の成長につながる新たな価値を生み出していくこと が期待される。 こうした変化の一つとして,進化した人工知能(AI)が様々な判断を行ったり,身近 な物の働きがインターネット経由で最適化される IoT が広がったりするなど,Society5.0 とも呼ばれる新たな時代の到来が,社会や生活を大きく変えていくとの予測もなされてい る。また,情報化やグローバル化が進展する社会においては,多様な事象が複雑さを増 し,変化の先行きを見通すことが一層難しくなってきている。そうした予測困難な時代を 迎える中で,選挙権年齢が引き下げられ,更に平成 34(2022)年度からは成年年齢が 18 歳へと引き下げられることに伴い,高校生にとって政治や社会は一層身近なものとなると ともに,自ら考え,積極的に国家や社会の形成に参画する環境が整いつつある。 このような時代にあって,学校教育には,子供たちが様々な変化に積極的に向き合い, 他者と協働して課題を解決していくことや,様々な情報を見極め,知識の概念的な理解を 実現し,情報を再構成するなどして新たな価値につなげていくこと,複雑な状況変化の中 で目的を再構築することができるようにすることが求められている。

【国語編】高等学校学習指導要領(平成30年告示)解説
https://www.mext.go.jp/content/20210909-mxt_kyoiku01-100002620_02.pdf

上記内容を文科省の美辞麗句と一蹴するのはたやすい。真面目に受け取るにせよ、各種調査には議論の余地があるのも確かだ。
だが、そもそも国語関係者でその点をきちんと考察している人間は一部だし、何よりその考察が関係者の多数にほぼ伝わっていない。
そして指導要領やその解説は流し読みして引用などはせず、PISAやRST等には嫌味を言い、生活困窮者のことは他教科任せ。そして文芸趣味に走る同僚は放置容認。 少なくとも部外者である私にはそう見えるのだ。

総括

論理か文学かの二分論争は、資質能力について丁寧な考察をしないまま小説だの論説文だのというコンテンツの議論にすり替えてしまったゆえの迷走。一部国語関係者が豪語する「文学で論理は学べる」の中身をきちっと論じて界隈に普及させない限り、文科省サイドとのすれ違いは改善されないだろう。
なお、この話は個々で目先の生徒に奮闘している現場の教員をバカにしたものでは断じてない。個々人で教員が奮闘していても、界隈として取り組みがまばらだったら事態は改善されたとは言えないし、文学推しというコンテンツ志向に囚われた言説を取り締まらないと議論は先に進まない、という話なのだ。

参考


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