ozeanschloss

雑学好きの元Wikipedia執筆者(≠管理人)。不定期に学術的な問題についてエゴサしたり発信したりしています。科学哲学・教育論を中心に、文理を問わず「知」の探究にいそしんでいます。 思うところがありnoteを始めました。応援や意見などをお待ちしています。

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雑学好きの元Wikipedia執筆者(≠管理人)。不定期に学術的な問題についてエゴサしたり発信したりしています。科学哲学・教育論を中心に、文理を問わず「知」の探究にいそしんでいます。 思うところがありnoteを始めました。応援や意見などをお待ちしています。

最近の記事

お知らせ

8月初旬、私のXアカウント(@ozeanschloss)にて「凍結」という事態となりました。 教育問題について思うところがあり発信を続け、その範囲をnoteにも拡張しましたが、自身の不遜な発信に伴い、このような事態となりました。 X上の出来事をこのnoteにしたためることで当該の方々に伝わるかどうかは正直怪しいですし、この記事を上げることで二次的な問題を引き起こす可能性もゼロではないですが、自身のけじめとして述べさせてください。 関係者の方々へ。特にY先生へ。 今回の一

    • 音楽・美術の授業は学校教育に必要か?(再掲:完全無償版)

      ※本記事は今年8月3日に公開した同記事(ただし課金要素あり)の完全無料版です。一部修正箇所がありますがご了承ください。 先日、「学校教育に音楽・美術の授業は不要」という現職教員らしき人物の発信に反応する形で様々な意見が飛び交うことになった。 私は現状の学校教育を前提とする限り、音楽・美術授業の廃止論には反対である。 今回は専門家の立場からの発信も多少なりとみられるが、多くはやはり前提が統一されないまま各自がそれぞれの思惑で発信する傾向にある。 いたずらに現職を振り回さな

      • 古典不要論をめぐるあるYoutube動画について、愛好家の反応のなさが気になる件 #国語教育 #こてほん

        ※記事公開後にタイトルと内容を微修正しています。(6/2追記) 最近、以下の動画が投稿された。未読の方は一読されたし。 コラボ広告とのつなぎ、先行文献の裏打ちの両面で良質の動画である。 出典:「なぜ古典教育の意義を誰もまともに答えられないのか【古典廃止論】」(社會部部長20240524) 前置き:古典教育議論に関する先行動画古典不要論をめぐっては定期的にX(旧Twitter)でバズることがあるが、これまでYoutube動画内で古典教育の在り方を中心的テーマとして取り上げ

        • 「古文はムダだとか言うやつは、古文が金融や不動産に変わったところで多分、金融や不動産の勉強もしない」への反論

          久しぶりにnoteで記事を書く。Xの連続発信の簡易まとめ。 noteでも古典教育をめぐる発信が増えたが、現状では圧倒的に古典教育を擁護する立場の発信が多い。ただ、定期的にバズる割には表層的かつ錯綜した議論になりがちな印象のこのテーマ、関心を持っている方々には多角的にこの問題を考えていただきたくこの記事をまとめた。 粗削りな部分もあるだろうし、読者にとっては不快に感じる書き方の部分もあるかもしれないことをあらかじめお詫びしておく。 直接のきっかけは下記のツイート。 私は

        • 音楽・美術の授業は学校教育に必要か?(再掲:完全無償版)

        • 古典不要論をめぐるあるYoutube動画について、愛好家の反応のなさが気になる件 #国語教育 #こてほん

        • 「古文はムダだとか言うやつは、古文が金融や不動産に変わったところで多分、金融や不動産の勉強もしない」への反論

          国語教育関係の疑問をChatGPTに投げかけてみた結果②

          前回の続き。 巷で話題のChatGPTを使い、国語教育に関わって疑問に思っていたことのいくつかをぶつけてみた。思いのほか興味深い内容が多かったので、抜粋してここにまとめる。AIの出力サンプルとして、あるいは国語関係の疑問への無難な解答例として参考にしていただければ幸いである。 ※ChatGPTについてはこちらを参考に。 https://aismiley.co.jp/ai_news/chatgpt-tsukattemita/ 但し当然ながら、下記の掲載内容はAIによる出力結

          国語教育関係の疑問をChatGPTに投げかけてみた結果②

          国語教育関係の疑問をChatGPTに投げかけてみた結果①

          先日、巷で話題のChatGPTを使い、国語教育に関わって疑問に思っていたことのいくつかをぶつけてみた。思いのほか興味深い内容が多かったので、抜粋してここにまとめる。AIの出力サンプルとして、あるいは国語関係の疑問への無難な解答例として参考にしていただければ幸いである。 ※ChatGPTについてはこちらを参考に。 https://aismiley.co.jp/ai_news/chatgpt-tsukattemita/ 但し当然ながら、下記の掲載内容はAIによる出力結果であり

          国語教育関係の疑問をChatGPTに投げかけてみた結果①

          我が子を「できる子ども」にする、たった一つの力(伊藤氏貴氏) #国語教育

          新課程国語批判の火付け役、伊藤氏貴氏の論考を見つけた。 じっくり書いている余裕がないため、今回は短めに。 我が子を「できる子ども」にする、たった一つの力|中学受験を考える前に、必要な能力とは?【前編】 我が子を「できる子ども」にする、たった一つの力|小学生の間に身につけておくべきこととは?【後編】 上記記事で伊藤氏は「想像力」を軸に国語力強化を訴えており、その手段をとかく小説読解に求めている。が、具体例と噛み合っておらず違和感を覚えた、というのが主な感想。 以下詳細。

          我が子を「できる子ども」にする、たった一つの力(伊藤氏貴氏) #国語教育

          新課程国語でどうしても文学授業を実践したいと切望する方々へ #国語教育

          2022年実施の新課程国語に関わる問題について、私は微力ながらいくつかの反駁を試みてきた。 しかし、新課程が導入されて2年目(すなわち「論理国語」「文学国語」などの本格実施が始まる時期)にも拘らず、現場の動きはあまり見えてこない。ただし中には、匿名の一部発信者(私もその1人だが)から、    ”「論理国語」の枠内で、隠れて文学授業を実施する” 的な発信がSNS上で観測されている。新課程を推進する側として看過できない動きであり、何かしらの提言をしなければと感じていた。 当初

          新課程国語でどうしても文学授業を実践したいと切望する方々へ #国語教育

          国語教育に関する榎本博明氏の立ち位置

          現在、新課程国語に関する長めの論考を執筆中だが、まとまりきらないので別の記事を発信する。 私の新課程国語に関する発信は、2020年8月に始まる。 直接の契機になったのはこの記事だ。 「本が読めない人」を育てる日本、2022年度から始まる衝撃の国語教育 | 教育現場は困ってる | ダイヤモンド・オンライン この記事そのものについて、私はすでにブログにまとめた。 本稿ではこの記事の著者、榎本博明氏の国語関係の発信を複数扱い、比較検討する。 ブログでは盛大に反論した私だが、

          国語教育に関する榎本博明氏の立ち位置

          新課程国語で論理・文学の二分問題を議論する前に #国語教育

          「論理」「文学」の二分について、2023年1月25日に発信した私見を加筆修正したもの。2022年より実施の新課程高校国語における「論理国語」「文学国語」を巡る議論について。 ちなみに私も、過去に別のブログで似たような記事を書いたことがある。 はじめに ブログ内でも言及しているが、本稿および上記ブログで言及する「論理・文学の二分問題」とは、   新課程高校国語で論理と文学を二分するかのような教育課程の問題 をさす。厳密には、 ・「論理国語」「文学国語」という科目として

          新課程国語で論理・文学の二分問題を議論する前に #国語教育

          読売20230122「論理と文学 ともに学んでこそ」#国語教育 #教師のバトン

          ツイッター上で次の記事告知を目にした。 記事はこのリンクで確認できる(ただし有料)。 記事を読む前の私の感想 (Twitterより) 「文学と論理を共に学んではいけないのか」という見出しは割と同意。今日の朝刊ゆえまだ全文は見ていないが。 新課程登場するまで、どうして国語関係者は無邪気な文学推しに終始してきたのか。どうして今なお「我々は文学で論理を指導をしてきた」と誰も声を挙げないのか。 邪推を許せば、新課程が登場するまで国語関係者の多くは自身の専門である文学を強調するか

          読売20230122「論理と文学 ともに学んでこそ」#国語教育 #教師のバトン