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「首相官邸から、阿川総理による緊急発表をお伝えします。」


『今回、淡路島でおきました、大規模食中毒については、皆様方に心配をおかけしましたが、政府と町の皆様の迅速な対応により、さらなる拡大は阻止できました。原因は、以前おきました阪神淡路大震災の際、地殻変動があり、岩盤がずれて、井戸水に人体に悪影響のある物質が混入したためでした。現在、救急医療体制を整え、全力で被災者の治療に取りかかっており、政府が全面的にバックアップを続け、少しでも早く完治するように努めます。』




 神戸の拠点を置く食品企業・東洋食品の社内は混乱の極みだった。経費削減だけでなく、新興国との関係強化のためにアジア(中国、ミャンマー)からの調達食材を増やしてきたが、ここにきて毒物が混入した商品が市場にでてしまう事態が発生していた。

 しかしながら、このことをひた隠しにして、政府と手を組んで味付けの失敗と嘘をついて、すぐに商品を回収したのだが、淡路島では回収が間に合わず、一般家庭に流出してしまった。そして、洲本町から少し離れたある1つの小さな村が壊滅的な打撃をうけ、村人15%(約75名)が死に、49%(約230名)が神経障害を発症していた。

 警察と検察や政府に根回しした東洋食品の総務担当重役である近藤は、元政府高官(公安だったという噂)だったので、政府や警察に手を回し、井戸水の影響であったと隠蔽工作を図っていた。

 製品開発担当役員の大泉は、役員十年目、しかしまだヒラの取締役で今度上がらなければ退職する覚悟だった。今回の食品は、社長の竹村が言い出し、引き受けたのだが、何故か,中国とミャンマーからの食材調達にこだわり、そこはがんとして譲らなかった。調査の結果、あまり質が良くなく、ブランドを重視する当社には、良くないと何回提案しても受け入れてもらえなかった。


 その食材が原因ではないと製造部隊から調査結果を受けていたものの、おかしいと思い。秘密裏に、工場の元部下と調査をすることにしていた。その矢先、緊急役員会議が招集され、食品回収の状況と原因と対策が示され、役員一同賛成するように議決を取った。一度は、もう少し検討したほうがよいのではと発言したが、有無を言わさぬ社長の目線におしだまった。大泉にも家族が居る。その顔が頭の中を駆け巡るのだった。まかれた方がいい場合もあると、自分に言い聞かせていた。


 そのあと、社長室に呼ばれて、黙って従えば悪いようにしないとほのめかされ、次回の役員会で、常務への昇進を約束してくれた。



 淡路島洲本町の隣り村では、厳粛な葬儀が行われていた。事件(事故だが)依頼、町周辺は厳重に閉鎖され、公安と地元警察が捜査していた。捜査というよりも完全な偽装工作だった。

 精神障害を受けた人の治療は、神戸の医療センターで行われるため、ポートアイランドの2期工事の場所に特急でプレハブの2回建ての大きな建物、医療設備が立てられ、散り散りになっていた被害者が集められ始めた。たった1週間で立てた。何かを恐れているように。被害者を集めたがってるようだった。


 食品会社の製品開発担当役員である大泉は、通常は、神戸の開発センタに詰めていた。役員会は東京本社で行われるため、週に1回は東京を往復している。しかし、この2年間、東京、上海、北京、シンガポール、ハイチなどをいったりきたりで、神戸にはあまりいなかった。家も留守がちで、奥さんとは、月に10日も顔を合わす程度だった。

 この会社の食材は、こまで日本国内から調達しており、その安全性が売りだった。淡路の農家からもタマネギやいろいろなものを取り寄せて活用していたので、今回の被害者の中にもパートナー農家がいたので、少しきにやむ大泉だった。そこで、一度、関西地区の農家を周り、挨拶することで、淡路を訪問することもできるように計画したのだった。


 

 東京の社長室では、深刻な話し合いが行われていた。総務担当役員近藤とお客さまらきし2名の計4名でじっくりと話し合いがもたれていた。今回の食品回収は迅速に対応したので話を作り上げて隠すことができた。もう1,2日過ぎていると大惨事となり、刑事事件にまでいった可能性が高い。

 今回の中国、ミャンマーからの食材調達は政府からの内密の要請で決めたことで、その背景が何かは教えてもらえてないが、想像はついていた。中国はなんとかして関係が悪化している日本と今一度親密になりアジア経済圏を一緒に牛耳りたかった。

 中国の広大な土地、未だ安い労働者、資源と日本の科学技術を合わせてアジアを征服したかった。日本の食糧事情は依然良くなく、食材供給のパートナーとなり好印象を中国政府は与えたかった。そこで新しい土地を開拓し最新の農場管理システムを導入して高効率で生産できる体制を1年で作り上げて、供給を開始した直後のトラブルだった。植物成長を促進するために添加したマグネシウムが、予想しない化学反応を起こしていたのだった。このシステムはオランダの企業から盗んだ情報を元にしていたが、このトラブルはどこにもなかった。


 政府高官は政府の関与をひたかくしにしていた。今回は、珍しく首相の阿川がプレスに対して、コメントを自ら発信していた。


「いや、今回、淡路島でおきました、大規模食中毒については、皆様方に心配をおかけしましたが、政府と町の人族な対応により、さらなる拡大は阻止できました。原因は、以前おきました阪神淡路大震災の際、地殻変動があり、岩盤がずれて、井戸水に人体に悪影響のある物質が混入したためでした。現在、救急医療体制を整え、全力で被災者の治療に取りかかっており、政府が全面的にバックアップを続け、少しでも早く完治するように努めます。」


 官房長官のプレスリリースでも、同じことが続けられていた。社長室では今後の進め方について協議されていた。辞める選択はなかった。すでにこの件で、日本政府と中国政府から特別な扱いを受けていた。


 ミャンマーの工場からの入荷物と比較した結果、やはり中国の最新工場特有の問題であることは分かっていた。神戸の研究開発センターでは、依然として本当の原因がわからないでいた。現場のあらゆる情報が捜査ということでシャットアウトされていたのでは、どうすることもできない。どちらにしろ、今はおとなくしてすんなり常務に上がることが大切と考えはじめる大泉だった。


 事件から一週間が経ち淡路島の農場パートナーを訪問できることになり、3カ所行ってみることにして、出かけてみると、少し悪臭がまだのこっていて、話を聞いてきると、どの農家でも、しばらく野菜を作ることはあきらめているとのこと。政府が救済のために基金を設立して、当面の生活はできる。水質の浄化も政府主導で行うことになり、いくつかの施設の建設が始まっていた。どうやら、水の大規模浄化プラントと水浄化に関する国の研究機関を設立するようだった。たしか首相の阿川は環境間連の多くの企業からの献金があり、政治家としての地位を築いたはずだと、どこかの週刊誌で読んだことを思い出す大泉だった。


 水質の浄化にはおそらく一年以上かかる(表向きは)ので、その間、農家は、その手伝いをすることで生活費が支給されるようだった。この地域からの食材調達は断念するしかなく、落胆する大泉。そそくさと神戸に帰って行った。



 東京本社の社長室には、中国政府からの訪問者がおとずれ、総務担当重役近藤と社長竹村と高官の4名で密談が進められていた。中国からの野菜と鶏肉に問題があったことは確かだった。それは中国側も認めている。ヒ素が高濃度に入っていたが、なぜか、種の中で蓄積して、分析に引っかからなかった。このような事故は想定しておらず、いまだ、その原因は分からないでいる。

 しかし、賄賂を盾にして、中国側は食材の輸入を迫る。なんの対策もとっていないにもかかわらず。それに、政府高官は、今回の事件の責任を誰がとるのかと言い出していた。会社の損失は大きかったので、その責任はだけかがとらなければならない。社長は、今度常務に上げるつもりの開発担当役員大泉を名指しした。みんな、同意。だれも反対しない。自分に火の粉がこなければなんでもありだった。



 淡路を訪問したときに、警察の目を抜けて、水と土壌のサンプルを採取し、分析を行ったが、政府が発表しているような、汚染物質はみつからなかった。完全にクリーンだ。そこで、今度は、知り合いの見舞いと称して、神戸に作られた医療設備を訪問し、患者の様子をみることにした。


 上海から車で2時間ほどのところに大きな湖がある。その湖畔に国の援助で、科学技術を使った、新農業システムの開発と商業化に力を注いでいた。その広大な土地と、鉱山に併設されていた、石炭発電設備による安価な電力により、農業システムを稼働させていた。システムはオランダからのライセンス(ほとんど、ただだが)導入し、地元の大学で改良研究を進める傍ら、商業運用していた。そこからの農作物は、中国国内でなく、アジアの周辺国へ高額で輸出されていた。とにかく、安全で、品種改良により、美味しいものが作られていた。


 農業システムセンターでは、日本からの緊急通知で、作物に異常があったことが分かり、その区画の出荷は停止していた。原因ははっきりしていた。ヒ素の混入だった。隣の区画で薬品の製造トライが始まり、ヒ素も一部使われていた。人も物も、交わらないように区画は完全に遮断していたが、作業者の中に、一人だけ、両方に関係していた技術スタッフがいた。水の専門家で、水質コントロールを行うため、定期的に区画を調査し、微調整の指示を出していた。おともと、医薬の専門教育を受け、博士をもっていたので、今回の医薬品のトライにもメンバーに選出された。水質調査の際、エアーブラシで衣服への付着物は落とすが所持品までは検査していなかった。その子のポケットの中のサンプル容器の一つにヒ素が入っていた。そして、農業区画でその容器を使って、水のサンプルを採取したので、ヒ素が混入した。しかも高濃度のヒ素だったので、あっというまに区画にひろまってしまった。当然、水質調査にひっかかるはずだったが、綺麗に流れたので、採取した水にはヒ素はふくまれず。環境監視システムは農業区画にはつけていなかった。施設を急拡大するために、投資は最小限にとどめ、検査は人海戦術で行っていたからだった。医薬品のテスト区画の建設費用も膨大で、その影響で、農業区画への投資も抑えられていた。



 ポートアイランドの医療センター付近に作られた施設を訪問した大泉は、知り合いが何人もベッドに横たわり、青白く、やせた顔から笑顔は消える様子に胸が痛んだ。明らかに毒物による障害がでているのがわかった。話しかけようと、ベッドの脇によると、必ず看護師が付き添うようになっていた。

なにか聞かれてはまずいことがあるような雰囲気で、こちらが、水の汚染以外に考えられないかとほのめかすと、患者は看護師の方をみながら、否定した。患者の容態は、回復していつ人とそうでない人が分かれている。その様子は明らかに、ヒ素による中毒症状ににているが、政府の調査による発表は硫黄じゃないかとのことだった。


医療センターを離れ、大泉は神戸の開発センターにもどる。デスクのパソコンに1通の電子メイルが社長から来ていた。

 明日、会いたし、東京にすぐにくるように。


 次の日、東京の社長室。竹村社長、近藤総務担当役員、そして自分(開発担当役員)の3人。今回の自主回収は非常に迅速な対応で、幸いにして大事にはならなかった。しかし、財務上会社に損害を出したことは事実で、その責任は、製品開発にあるのではないかとの意見が社長からだされた。

 これで分かった。自分をスケープゴートにする考えだ。ここはなんとか切り抜けないといけない。こどももまだ小さい(結婚が遅かったので、大学生と高校生2名、計3人)


 そこで、淡路と医療センターで確たる証拠はないが、感覚的に掴んでいることをもとに、なんとか切り抜けるストーリを作りあげることにした。今回の自主回収は、社長が押し進めた中国工場の活用が原因で、製品開発段階のおちどはない。むしろ、安定調達上の問題から、それは総務の取り扱い領域。社長も総務担当も押し黙り、少ししたら、分かった。その事実関係を2週間でまとめて提出すること。本件について、それから対応を決めることとする。


 神戸にもどり、部下の課長と入社3年目の研究員を呼び出し、ことの次第を説明。帰りの 新幹線で考えていた調査計画を説明し、二人にてつだったもらうことにしていた。二人ともいつも力になり、これまでいろいろ開発してきた。3年目の若手も嫌がらずハードワークを続けている。今日の子としては珍しい。


 課長と開発担当役員は、淡路に再度調査にいくことにした。井戸水からはヒ素など、毒物は一切でてこなかったので、被害者の地理的関係を再度整理して、その因果関係、特に、弊社の食品との関係を調べる事にした。


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