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母が亡くなって3年が経って

今日、母の命日です。
8月17日、パイナップルの日と覚えてます。

このコロナ禍なので、単身で京阪に帰省。
母の4回忌?(去年3回忌をするべきだったのに2年目だからと忘れてしまい! 今年なんとか埋め合わせ…)と祖父の27回忌を執り行っていただきます。
今ガラガラの新幹線。

3年前の朝。

子供2人を連れて、京都のサ高住(サービス付き高齢向けマンション)で終末期を過ごしていた母の元へと走りました。
母は危篤状態のまま数日ねばっていてくれていました。私の大きな仕事が終わるのを待ってくれたように。

あと3時間もすれば母に会える。はやる気持ちで、東京駅構内を小走りした。お腹減ったという子供たちのためにパン屋さんに入り、彼らのリクエストを聞いているところでスマホが震えた。

お盆で大混雑の店内の端で電話に出たら、姉からだった。
今、訪問の看護士さんからお母さんの心臓停止の報告があったよ。
そういうことだから。
急いで来なくていいよ。

そう言われたけれど、一番早く出るのぞみに飛び乗って、子供たちにパンを配り、一息ついて流れゆく窓外を眺めた。
いろんな感情がこみ上げそうで、
なのに、どの感情も遠慮したみたいに奥のほうに留まろうとしていた。
胸のあたりがぎゅうぎゅうと痛んだ。長く息をついてみたら、瞬きするたびに涙が出てきた。
身体が自動的に作動して涙が出ているようだった。
ああ、間に合わなかったな…。
悲しいとか淋しいというより、そう思った。

でも私が間に合わないタイミングを選んで旅立ったのだろう、あの母のことだから。
ものすごく納得できたのでした。

わたしってネタが多い人生だなと自負していて、それゆえに書く仕事をしたいと思うようにもなった。
そのネタの90%は母由来である。母の無茶振りとか、母が持ち込んできたトラブルとか…。
天使と悪魔が同居しているような人だった。
大好きなのに失望させられることばかりで、だからできるだけ関わりたくなかった。
でも会うと楽しくて、ものすごく変わっているところがチャーミングで、どうしても好きになってしまう。
それも束の間。しばらくすると何かしらでまた失望させられる。その繰り返し。母を想うと絶望的な気持ちになったものだった。
ただただ、大好きでいさせてほしいのに、そうさせてくれない苦しみに苛まれていた。

(若かりし父と母。昭和の爽やかなカップル風。でも凄まじく業が深い2人)

母が亡くなって、もちろん淋しいけれど悲しくはなかった。正直、安堵できた。
もうこれで母に失望しなくて済む。
母のことを大好きでいられる。
わたしはどうしようもないくらいマザコンなんだと今さら気づいている。

母の看取りの経験から書いた『有村家のその日まで』で、破天荒だった亡き妻を思い出しながら夫が、生まれ変わったらまた会いたいと想う。夫婦は大変すぎるから、友達がいいのだと。あれはわたしの母への気持ちそのものだ。

(天竜川を通過。晴れていてきれい)

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