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8月のエッセイ

ジョギングがてら氏神さまに参拝するのを日課にしている。鬱蒼とした樹木に囲われた小さな参道に響く蝉の声。長い梅雨が明けるのを待ち望んでいたのは蝉も同じだったのでしょう。古い狛犬の足下に、手水所にも、蝉の抜け殻がくっついていた。

蝉時雨を聞くと、私は淋しくなる。すごく暑くてカンカン照りで、蝉の声が洪水みたいに溢れれば溢れるほど、淋しさが深まる。子供の頃は、そんなふうに思わなかったはずで、いつからそう感じるようになったのだろう。親しい人を夏になくしたからもしれない。母の命日も8月だ。

易経の言葉で『陰極まれば陽生ず、陽極まれば陰生ず』というのがあるように、夏の盛りだから斜陽の気配を感じているのもあるのかしら。どんなにエネルギーに満ちていても、いつかは終わってしまう。

(老猫カネさん、推定14歳から20歳も元気です。ノミアレルギーではげていた下半身に毛が生えそろって若返りました)

なんだか書いているうちにしんみりした気分になってきたが、8月のエッセイをアップしました。

こちらは相変わらず能天気です。夏の日のポケットに入れたまま忘れてしまった飴玉みたいに、脳味噌が甘く溶けるんじゃないかってくらい……韓国ドラマばかり観ていて、マジでいかん。そろそろ脱け出さなくては。

そう思うのに、次は何にしようかと考えている。梨泰院も観たい。ソン・イェジン見たさに『よくおごってくれる綺麗なお姉さん』にするか、ここは映画にしておいて『私の頭の中の消しゴム』にしておこうか。ヒョンビンを追っかけて『シークレット・ガーデン』でもいいな。

(先猫のココさんも女っぷりが上がっています)

いや、程々にして読書の時間も持たないと……。やっぱり文章を読まないと、文章は書けない。ドラマも面白いけれど、読書でなければ得られない刺激や想像の体験があり、救いや癒しがある。悲しい夜にドラマを抱いて寝ることはできないけれど、本なら抱きしめられるものです。わけもなく淋しくなる夏こそ、きっと心は本を求めている。なんて、情緒的なことを書いて、怠惰に流れている自分をごまかそうとしています。すみません……。エッセイ、読んでいただけると嬉しいです。


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