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人生の設計図 2

そういうわけで、タイトルの話。自分の人生の設計図を作って、人は生まれてくるみたいな話って聞いたことがある。青写真とも言うのかな。本当のことなんてわからないけど、私はけっこうそれを信じている。ゴールデンウィークにnoteで6回更新した『ボクのゴールデンなコロきゅう』でも、そのエッセンを注ぎ込んでいます。人は幾たびもの人生を経験して、生まれ変わるたびに、「次はどういう人生にしようかな」と考えて、設計図みたいなものを書いて、よしっ! と生まれ変わってきているんじゃないかな。そんな想像をするのは楽しい。

スタンプラリーみたいに、いくつかクリアしなくてはいけないポイントがあって、一つの人生を終えると、チェックするわけだ。

「ええっと、今回はこれはできたな。これもできた。うんうん、平凡だと思っていたけど、なかなかちゃんとクリアしてるなー」

なんて、言いながら。じゃあ、次の人生はどうする?

「これはまだできていないんだよなー。うわ、面倒だけど、クリアしておくと魂レベル爆上げするから、いっちょやっとくかー」

などと考えながら、次の人生を設計していく。自分が決めた項目をクリアするには、どういう親の元に生まれて、どういう人生を歩んでいけばいいのか、ある程度目論むというか、デザインするのだ。

するのだ、って……。あっ、一応言っておくと、これはあくまで私の想像なんで、あしからず。全然、天からの声とか聴こえたりする能力ないんで、「はっ、なわけないだろ! 非科学的なことを恥ずかしげもなく!」とかお叱りいりませんから。

で、話を戻す。まず最初に決めるのは、親のセレクトだろう。遺伝子的にも環境的にも、もっとも人生を左右することだ。

私がいったいどういうことをクリアしたいと思って生まれてきたのかは、自分でも知らないが、とりあえず、それらをクリアするのにベストだったのが、あの母であり、あの父だったのだろう、と考える。

で、絶対にこう思ったはずだ。

「まじか……この二人の子供として生まれるの、かなりハードなんですけど。できればやりたくないっていうか、他の選択肢ないもんですか?」

ハードモードの親元に生まれることによって、大変だけどクリアしたいことをクリアできる、とはわかっていても……でも、これはちょっと、みたいな。

「正直、気が進まないなー。近道っちゃあ、近道なんだよね。どうしよっかなー」

腕をこまねいていて、ふと隣を見ると、同じように渋い表情をしている人たちが、私のほかに、3人いるのだ。

「あれ? もしかして、この二人の子供をセレクトしようかって、考えたりしてます?」

そう訊くと、ですです、と3人は頷く。

「面白そうではあるけど、けっこう癖強いですよね」

「下手したら精神病むじゃないですか? 思春期でぐれて、道外しかねないしね」

「一人っ子だと逃げ場ないし、背負いきれないでしょうね」

みんな同じ考えだ。でも、待てよ。

「1人なら潰れるけど、4人で手分けしたらクリアできるかも?」

「あっ、たしかに? じゃあ4人で姉妹になります?」

「いいですよね。4人で力を合わせて、この親をクリアしましょう!」

「じゃ、生まれる順番はあみだくじでいいですかね?」

みたいな話し合いがあったりしてなー。そんなことを想像して、私はにやける。だって、姉たちには本当に恵まれたなと思うのだ。姉妹仲がよかったからこそ、親によるさまざまな難局を乗り越えられたといって過言ではない。

どんな難局があったかというと、ここやエッセイで書けることは、ましなほうで、たとえば前回の億単位の借金の時、夜中に取り立て屋が押しかけてくるので夜逃げしたとか、そういうのはちょっとネタになるわーって言えるのだけど、さすがに話したら引かれるだろうなというレベルのものも、いくつもある。

1人だったら絶対に心折れていたことも、姉たちと愚痴を言い合って、解決策を考えることで、何とかやってこれた。

そして、生まれてからずっと大きな課題であった母をみんなで看取り、最期の最期まで振り回されまくりだったものの、ちゃんと笑顔で見送れ時、経験したことのない脱力感に見舞われた。何とかここまで来た、というような感慨。寝ずの番で、眠るように横たわっている母を眺めながら、淋しさと、それ以上に、卒論を提出できた安堵感にも似た思いで泣いたのだった。

私はこじらせたタイプのマザコンなのだろう。母が亡くなってからのほうが、母と一緒にいられているようで、今が母との蜜月だと感じている。この世に母がいた時は、大好きでいたいのにいられなくて、いつも辛かったから。いつ裏切られるか、いつどん底に叩きつけられるほど失望させられるかと、母のことを考えると胃が重くなり、呼吸するのもしんどくなったから。

母を看取れたことは、母からの最後のプレゼントだと思って、その経験を下敷きにした小説『有村家のその日まで』を書いた。

その小説の中で、父である照夫がこう思う場面がある。

『俺は懲りない男だから、生まれ変わってもお前に会いたい。でも仁子と夫婦になるというのは大変だと身に沁みてわかっているから、そうだな、友達がいい。』

これは、私自身の母への気持ちそのもの。生まれ変わっても、あの母に会いたいと思う。でも、親子は大変だと十分すぎるくらいわかったから、友達になりたい。変な子でたまに厄介ではあるけど、一緒にいる時はとにかくめっちゃ楽しい! そんな友達。

だけど母はせっかちだから、人生を終えた今、もう次の設計図を作って生まれ変わってしまっているかもしれないな。

だったら、それはそれで、まあいいや。




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