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ホロスコープとか、高校時代の友達とか

緊急事態宣言が発令された時とも、自粛で家ごもりしていた時とも、また違ったカオスの日々です。カオスであることに変わりはない。コロナによって世界中が大きな変化の時を迎えているのだろう。人類の歴史に残る一年になることは間違いなさそうで、それをリアルタイムで生きている不思議を感じるこの頃です。

話は変わって、ここ数年ホロスコープ を勉強しています。亡き母は四柱推命をやっており、一時期は大阪キタ界隈でプロの占い師(マリー先生という源氏名)として鑑定していたくらいだった。贔屓目ではなく、異常なまでに凝り性な母の鑑定はそこらへんの占い師とはレベルが違うほど精密で、母の鑑定がデフォルトの私が他の占い師に鑑てもらうと、あまりにも薄っぺらでがっかりすることが多かった。

もう母に鑑てもらうことができなくなったので、自分で勉強するかと思い立ったが、私はどうも四柱推命が覚えられない。四柱推命よりもホロスコープ のほうが詳しく鑑られるから、はじめるならホロスコープ のほうがいいわよ、といつぞや母に言われたことを思い出し、その入門書を買ったのが3年前のこと。

あっ、ホロスコープ って何ですか? という方のために説明しておくと、星占いです。雑誌の後ろなどに載っている今月の12星座の運勢的な、あれです。朝の情報番組でも、「今日ラッキーなのは牡牛座」とかやってますよね。

時を同じくして、友人にホロスコープ の先生、はるな薫さんを紹介してもらい読み解き方を教わりながら鑑定してもらったら、これがすごかった。はるなさんとお話しするとわかるけど、すごく凝り性でマニアック。で、太陽みたいに明るくて、いつもニコニコ? いや、オホホホと笑っていて、あれ? 誰か似てる? そう、私の母に雰囲気が似ていたのでした。もちろん、はるなさんは私の母のように奇天烈ではないのですが……纏うムードっていうのかな。そういうご縁もあって、ますますホロスコープ の面白さに開眼した。

ホロスコープ も四柱推命も占いのジャンルで扱われているが、古代からある占星術という統計学なので、「当たっている」という表現は少し違和感がある。「こういう星の配置の場合、こういう影響を受けやすい」という統計的データーを読み解いていき「なるほど、たしかに!」と納得する、これがいわゆる「当たっている」なのかと思う。

一般的な星占いは、ホロスコープ の中で「太陽がどの星座にいる時に生まれたか」を鑑ていて、「わたしは天秤座です」というのは、「わたしが生まれた時に、太陽が天秤座の位置にありました」ということ。ホロスコープ は、太陽だけではなく、水星、金星、火星、木星、土星、天王星、海王星、冥王星の配置まで鑑ていく。そのほか、小惑星や、生まれた時の東の地平線である上昇点や、地球から見て月の軌道と太陽の軌道の交点なども絡めていく。学問としてとても深いし、難しい。鑑定する人のセンスに因るところも大きい。

だからといって全部を理解する必要はない。私も独学で気ままにやっているからちっとも腕が上がらないが、少し読めたらそれなりに楽しめる。なかなか興味深いものなので、日常のちょっとした指針に利用するのはいいと思う。たとえば「月」を活用するのは簡単だし、すごく使える。

太陽の星座と同じくらい、月の星座は大事なのだけど、これが案外知られていない。ざっくり言うと、太陽が「人生の目的」といった外向きのベクトルだとすると、月は内向きなベクトル。月は心の領域であり、幼少期であり、母でもある。男性なら、奥さんにあたるものである。

ストレス発散したい時に、自分の「月」を活用するといい。こういうコロナ禍で疲れている時には、ぜひ「月」活用を!

私の場合で説明すると。太陽は魚座、月は水瓶座。普段外向きなエネルギーとして魚座的なものを出しがちだけど、心をリラックスさせたい時には、水瓶座的なことをするようにしている。水瓶座というのは、束縛されたくない自由行動派、でも友達とどうでもいい話で盛り上がるのは好き。友達とわいわい飲み会をした帰りに一杯一人で飲むとか、最高のオフタイム。飲みながら一緒にいる友人たちの生年月日を聞いてスマホのサイトでホロスコープ を作成し、あーだこーだと話すのも楽しいのだ。あと、流行りもの(新しいもの)とネットサーフィンも大好きだから、ZARAでオンラインショッピングしている時も快楽すぎて脳が弛緩する。

たとえば太陽が射手座で、社交的で冒険的な刺激が大好物な人でも、月が牡牛座だった場合は、射手座がフル稼働しすぎると疲れてしまいがちだ。おうちでまったりして美味しいものを食べて飲んでいたい牡牛座を活用すると、ストレス発散! となる。

自分の月の星座は、検索すればその手のサイトがヒットするが、参考までに添付。

飲み会といえば、先日高校時代の友達とzoom飲みをした。みんな関東に住んでいるものの、微妙に離れているし、それぞれ忙しくしているのでなかなか会えないから、みんなで顔を合わせるのは久しぶりだった。

高校時代の2年間、寮生活をともにした友達なので、久しぶりに会うと親戚みたいな感覚だったなー。何がおかしくてあんなにも笑っていたのだろう、と思うくらい一緒に笑ったメンバーだ。よく一緒に泣きもした。同じ人を好きになって、ああどうしようと悩んで、話し合って、最後は泣くの。もちろん嫌なことも共有してきたけれど、四半世紀もすぎた今、負のことはだいたい消化されている。

(高1の時の寮の部屋。散らかってる、つねにこんな感じだった。右のコルクボードには写真やポストカード。オードリー・ヘップバーンが好きだった)

この先の人生、まだまだたくさん、いろんな面白い人たちと出会って、できたら楽しいことをしていきたいと考えるけれど、時間とともに抗いようもなく歳をとっていく中で、こういう学生時代の友達が心の支えになっていくのかもしれないとも感じた。ホロスコープ のまさに「月」的な存在なのでしょう。

そんな日々です。

(女子寮の前。左がわたし、ほっぺたを押さえられている。階段を上がったガラスドアが閉まる時に、バシンッ! といちいち大きな音を立てるんだけど、その音を、たまに今でも思い出す。)



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