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中学校の運動会で800m走に出たときの話

31歳になった今でも強く記憶に残っているのが
中学校1年生のときの運動会だ。

大人になった今も変わらない
僕のバカ真面目な性格を
そのまま表したような出来事だった。


僕が通っていた中学校の運動会では
800m走という中距離走のプログラムがあった。
しかもリレー形式ではなく、
各クラスで代表者が1名ずつ選抜されて競う
中学生にしちゃガチンコなプログラムだった。

僕の運動能力は決して高くはなかった。
中の下くらい。
身長が高く、手足が長いくせに
足が遅いと茶化されていたくらいだった。
50mのタイムは9秒台後半くらいで、
調子が悪いと10秒のときもあった。
(中学生の男の子なら平均7秒〜8秒)

加えて、僕は当時から短距離走のような
圧倒的な個人スキルで勝つ競技より
玉入れや綱引、騎馬戦などの
チームプレイで勝つ競技が好きな性格だった。

そんな性格だったので、
自分が短距離走や中距離走に出場したら
「チームに迷惑をかける」という考えが強く、
短距離走などのプログラムは頑なに避けて、
玉入れに率先して名乗り挙げていた。
(身長が高いから貢献できると考えていた)

どのみち、今回の800m走も
クラスのなかで一番足の速い人や
運動神経の良い人が立候補するだろうから、
僕には関係のないものだと思っていた。

ところが。

この800m走は中距離ということもあり
運動会のなかでも目玉プログラムだった。
おまけに、そこそこな距離を走るので、
出場すると全校生徒の前に長い時間、
晒されることが予想された。

そのため「みんなの個性と特技を活かすぞ!」
なんていうスポーツマンシップより、
思春期の中学生にとっては
羞恥心のほうが断然、上回っていた。
だから、生徒が自ら名乗り出ることがなかった。

「お前、足速いねんからやれよ」
「800とか初めてやし嫌やわ。
つーか、お前のほうが速いやろ!」
こんな感じの問答が何周も続いて、
ランナーを誰にするかはずーっと並行線。

状況がこうなると、もう対応策は一つしかない。

そう、ジャンケンだ。

決め方に迷ったら、ジャンケン。
この制度のおかげで、
人生で何度ビクビクしたことか。
そして僕はこのとき、
「嫌な予感」をぷんぷん感じ取っていた。

予感は的中する。

ジャンケンで僕は全敗。
運動会の目玉プログラムである
800m走のランナーに選ばれてしまった。

ランナーが僕に決まったあと、
クラスメイトはすごい申し訳なさそうだった。
かといって「代わりに走るよ」という
助け舟は一切なく、むしろ
ホッとした安堵の表情が入り混じっていた。
ああいう顔は、大人になってからもよくみる。

…で、他のクラスのランナーはというと、
幼少期から水泳と卓球をやってきた持久力の怪物、マーくん。サッカーのクラブチームに入っていたガキ大将のコウスケ。小学校の頃、バスケ部のキャプテンをしていたケースケ。

他のクラスは
あきらかに勝ちを狙いにきた選抜だった。

僕の実績といえば、
ルーティンで回ってくる日直か、
給食当番くらいなもん。
ジャンケンで勝負しても、たぶん負ける。
そう思うくらい僕は戦意喪失していた。

運動会の日まで、
僕は勉強よりも恋愛よりも
朝晩の歯磨きよりも
800m走のことで頭がいっぱいになった。
少しでも走力を向上させようと
夜に町内をぐるぐると走り回り、
自主トレをしていた。

そして迎えた運動会当日…。
グラウンドを囲む全校生徒や
保護者の姿を見て、僕は震え上がっていた。

800m走の概要はこうだ。
僕の通っていた中学校のグラウンドは
1周が約100mだったので、
8周くらい走らないといけない。
走る距離が長いので、ラスト1周になったら
鐘を鳴らして教えてくれる。

運動会が佳境を迎える午後、
800m走のプログラムがはじまった。

他のランナーの背中を追うようにして、
僕はスタートラインに立った。

スタートの合図であるピストルの銃口は
空を向いているはずなのに、
僕を狙っているように見えた。

位置について…よ〜い…

パン!

渇いたピストル音が空に響き、
全員が一斉に走り出す。
僕は緊張しすぎて、
手足がぐちゃぐちゃに動いていた。
たぶん狩猟ハンターに狙われた
子鹿みたいな走り方だったと思う。

遅れをとってはいけないと、懸命に走る。
すると、僕は他のランナー達と
ほぼ横並びで走ることができていた。
「あれ…!? もしかしたら、いけるかも!
自主トレの効果あった! 努力は報われる!」
と、少しだけ笑みがこぼれた。

しかし…
2周目から一気に様子が変わった。
ディズニー映画から急に
エログロサスペンス映画になるくらい変わった。
(そんなジャンルあるかわからんけど)

他のランナーはスピードをグングン上げていく。
僕はヘロヘロになり、スピードが落ちていく。
1周目の彼らは50%くらいの力だった。
僕は100%、いや120%の力だった。
完全に終わった。

体力が消耗してきたしんどさに加えて、
この醜態を全校生徒、
保護者に見られているという恥ずかしさが、
心臓のバクバク音を無駄に加速させた。
呼吸が余計に乱暴になる。

ゼェーゼェーと吐き出した息、
というより声が、耳の中でグルグルと響く。
その向こうでカラン、カランと
ラスト1周を知らせる鐘の音が微かに聴こえた。


でも、僕には関係ない。
僕はすでに他のランナーから
2周くらい周回遅れしていた。

保護者の方のまばらな
「が…が…がんばれー!」とか
「もうちょっとだよ…!」という哀れみの声が、
僕の涙腺をくすぐってくる。
生徒のクスクスと笑う声が、
僕の鼓膜にチクチク刺さる。

放送部の女の子が
アドリブを効かせてアナウンスした
「あ…あと2周!!」が、
スピーカーからグラウンドに漏れる。
先生たちも腕を組みながら、
うんうんと頷いてて、
謎に感動しているムードもあった。
最下位なのに、
パラパラと拍手が起こっていた。

グラウンドには僕しか走っていなかった。

周回遅れした分なんて、
ほんの数分の出来事だったと思う。

でも中学生の僕にとって、グラウンドは
オリンピックのスタジアムだった。
放送部のアナウンスは
中継先の人気アナウンサーの実況だった。
見守っている全校生徒と保護者は
僕に金メダルを期待している日本国民だった。

なぜかこのとき、すんごい
オシッコが漏れそうになったのを覚えている。

「競争に勝つため」以外の理由で、
インコースを攻めたのは
歴史上、全人類含めて僕だけじゃないだろうか。

ようやく僕がゴールをし、
競技終了を知らせるピストルが
パン!パン!と2度、グラウンドに鳴り響いて、
僕にトドメを刺した。

僕は走り終わった後、
「プログラムに遅れが出て迷惑かけたかな…」
と、心の中で呟いていた。

ぶっちぎりのドベだったので、
運動会が終わった後、
僕に声をかけてくる人はいなかった。
まぁ所詮、中学校の運動会。そんなもんだ。
自意識過剰なことのほうが多い。
僕自身も翌日にはケロっとしたもんで、
普通に通学していた。
クラスメイトのみんなもいつもどおりだった。

ちなみに、不幸中の幸いというか、
僕の両親は共働きで、運動会には来れなかった。
だから800m走の全貌を直接、見ていない。

…で、最近になってから、
この話の最後にこう付け加えて、母親に話した。
「グラウンドで1人になった時に、
なんで一発ギャグせんかったんやろと思うねん。
そしたら、伝説になってたかもしれへん。
まぁ、そんなん思いついても
あの状況では無理やったと思うけど…」

すると、母親は
「アンタほんまに真面目やなぁ〜!
ようズル休みせんと運動会行ったで!」
と爆笑していた。

運動会を休む。
そうか。その手があった。
なぜ代案が一発ギャグという
ハイリスクな発想なのか。

大人になった今でも
僕はたまに生き苦しくなるときがある。

僕はまだまだ人生の走り方がヘタクソだ。

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