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『黛灰に関する映像』を見て感じたこと

最初に


ざっくりと感想をまとめるだけです。

「黛灰」のこれからに何が起きるのかを予想したり、映像の中に登場する諸々の新規要素から何かを考察したり、未だ明かされない物語の謎を解き明かそうとする記事ではありません。

物語を真正面から受け止めた結果「黛灰」の全てに対して悲観的になるくらいに彼に入れ込んでいる方、心地いい読後感や感傷的な気分に浸りたい方、物語に対する芯を食った考察が見たい、という方向けの記事ではないと思います。

誤字脱字・悪い表現などありましたら、コメントにてご教示いただけますとありがたいです。



映像が流れることを知った時


「黛灰」や彼が含まれるコラボ名(ユニット名?)である「メッシャーズ」が好きなリスナーの方で、美麗なFAを描く方をTwitterでフォローしているのですが、その方のリツイ―トから、新宿アルタ前モニターにて黛灰に関する映像が放映されることを知りました。
(以下、ツイートへのリンク)


こちらの告知ツイートのRT・いいね数が多かったので、きっと誰かが現地に行って映像を撮影し、それをTwttterに流すだろう、と思いました。

私は都内在住ではないため、現地には赴きませんでした。



黛灰の印象


私自身は、『黛灰の物語』やバーチャルライバー「黛灰」について、彼の活動の観測にそこまで熱心ではなく、一挙手一投足に熱狂せず、耽溺もしていません。

普段よく見ている配信は、別のライバーの配信です。


彼に対しては、ニヒルでシニカルな雰囲気を感じられて、声をあげて高らかに笑うことはほとんどなく、ちゃんと真面目で面白いライバー、くらいの印象です。

今までの活動を見てきて、実況プレイを配信するゲームの選定理由が単に流行りのものだからというわけではないところに、彼なりの主義があるんだな、と思ったり、リスナーにテーマを投げかけてそれを募って上手に料理するのも非常にうまく、リスナーのことをネタとしていじることはあっても無下にすることはなく、自分が発信する言葉の重みや影響力に自覚的な人だ、という印象がありました。


彼の主催する企画配信では、「リアル・ライバー調査」が特に好きです。

個人的な感想を述べた記事を過去に書いているので、よろしければどうぞ。
(以下、記事へのリンク)


彼の活動には好意的な印象をもっている一方で、『黛灰の物語』については、関連性があるとよくいわれる『lain』を履修するなど、彼が好んでいると公言しているコンテンツを辿って外から情報を仕入れたり、論理的で綿密な考察を重ねたわけではありません。

本当にざっくりな感想で、本気で『黛灰の物語』に向き合っている人からすると至極ありえない感想なのかもしれませんが、「他のにじさんじライバーとは全く毛色が違う創作物」という認識です。



映像を見た感想


記事化する前にTwitterに書いた感想は以下の通りです。
(以下、Twitterへのリンク)

映像を見て、彼から発信されたメッセージを聞いて、上記のようなことを考えさせられました。


ごく個人的なことですが、最近は「バーチャルライバーの活動に対するリスナーのリアクション」について興味があり、そのことについて考えることが多いです。

黛灰の言葉を借りると、

「キャラクター」と「現実に生きる人」との一対多の関係

であったり、

リアルタイムにコミュニケーションを取ることができる「キャラクター」としてネット上の声やリスナーのエゴに満ちた言葉を受け止めなければいけない境遇の大変さ

もっと言うと、

論理的な理由で「やってほしくないこと」を表明したとしても、
「『キャラクター』のイメージと違う」
「『キャラクター』として、マイナスな言葉を発信してほしくない」
といったような、無名の大衆から感情的な意見・非難を受け、見えない事実を勝手に想像・曲解されて語られることを避けることができない境遇に身を置く辛さ

みたいなことをぼんやり考えることが多いです。


今回のメッセージにおいて、「黛灰」は最初に「にじさんじ所属Vtuber」だと言っています。

にじさんじリスナー向け、にじさんじの中で使われる言葉である「バーチャルライバー」ではありませんでした。

「Vtuber」という言葉を使っていることで、普段からにじさんじのライバーを見ているリスナー(ファン)だけではなく、もっと広く大衆に向けたメッセージを発信しているんだな、と思いました。


ただ、「バーチャルライバー」だろうが「Vtuber」だろうが、結局示すものは同じだ、と個人的には思います。

画面の向こうに確かに存在・実在して、リアルタイムにコミュニケーションを取ることができて、画面の前の私たちと同一の知能・思考能力・価値観・感情をもった「誰か」に対しての呼称です。


神、猫、犬、吸血鬼、日本じゃない所出身、魔女、鬼、魔物、ウミウシ、魔王、吸血鬼、魔法使い、夢の世界の住人、ケルベロス、亜人、竜の巫女、神、魔法少女、妖怪、レッサーパンダ、宇宙人、狐、錬金術師、竜、AI、エルフ、妖精、悪魔、幽霊……

それが人間じゃない何かだったとして、人間と変わらずコミュニケーションすることができて、同じ感情を共有することができるものに対して、それが完全な想像上・空想上の産物だと、自分の意思で物を言わない「キャラクター」だと、果たして言えるでしょうか。

それらの「誰か」に対して、相手の立場や感情に対する配慮に欠けた言葉をかけることを、果たして正当化できるのでしょうか。


学級委員長、高校生、若女将、シスター、大学生、年齢自由自在、怪盗、アイドル、御曹司、探偵、女子中学生、性別不詳、14歳、アイドルマジシャン、元石油王、うたのおねえさん、先生、未来人、皇女、社長、霊媒師、女子高生、王子、メイド、ハッカー、社会人、医療従事者、農家……

「誰か」が自身を「現実に生きる人」と同じ「人間」だと言っているならば、尚更そうではないでしょうか。


現実に相対・対面して行われるコミュニケーションにおいて気をつけること・配慮すべきことと、パソコンやスマートフォンなどの画面・モニターを挟んだだけの「誰か」に対してのリアルタイムなコミュニケーションにおいて気をつける・配慮すべきことは、同じではないでしょうか。


悪意のある心無い言葉を投げかけたり、職業・性別・出身・年齢・身体的特徴を取り上げてレッテル貼りをして語ってしまうことだったり、本意を誤解されるような配慮の欠けた言葉を誰もが見られる場所で発信することは、リアルとバーチャルの違いにかかわらず、等しくタブーではないでしょうか。



最後に


あいつは「 」で、私は「 」だ。
だから、あいつは「 」だ。

他者の立場を勝手に定めてレッテル貼りをするのは簡単です。

何かについて深く考えたり、全方位に向けた配慮をしなくてもよく、特に自身の感情が先行する物言いにおいて、自分が納得できる答えを簡単に導き出せると思います。


自分のエゴを満たすためだけに「誰か」の感情を犠牲にする物言いをしていないか。
「誰か」に対する配慮を欠いた言動をしてはいないか。

にじさんじのライバーの配信・活動をよく見ている私にとっては、こういったことを改めて考えさせられるような映像でした。


「黛灰」についてはもちろん、彼に近い存在、同じようにバーチャルの世界で活動している「誰か」について、広く言ってしまえば画面を挟んだネット上でのコミュニケーションについて、改めて考えさせられるようでした。



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