野垣由紀子先生

今から20数年前の担任の先生。

鼻の穴が大きく、体が華奢なおばぁちゃん先生と言うイメージだった。

が、私は、この先生に出会えた事で今の私が出来ているとすら思える。

宇宙飛行士に教師が選ばれていたのにも理解出来る。教師とは、教える師なのだ。

私は、本物の教師に出会えた幸運な1人だと自負している。

この、初老の先生は、全ての生徒に、慈悲深く、愛情深く、身を以て、全力で関わってくれる。

当時、小学校3、4年の私でも気づけるのだから相当な、ビック愛と気力だと思う。

怒ると泣きながらモップを力一杯振り回して手がつけられない男子生徒を体当たりで抱きしめて、落ち着かせる、怒りをコントロールする事を教え、

残忍な性格の男子生徒に命の大切さを教え、

いじめが流行るクラスで個人を尊重する事を教え、ドラマになりそうなくらい献身的に生徒を診てくださった。

こぶし通信と言うクラス通信にも、全力。

全てに全力全身。当時の田舎の小学校は同じクラスで知的障害を抱える子も一緒に授業を受けていたので、野垣先生は他のクラスより大変だったと思うが、野垣先生は、私たちに障害より個人の素晴らしい所を見るように教えてくれた。

他の教師は、子供だからと子供を馬鹿にし、若い女の先生に子供の前でセクハラするノー先生、子供に暴言を吐くなんて朝飯前、セクハラされながらヘラヘラし親を見てから、子供に接する態度を変えるオー先生、当時の田舎の小学校は、親が穏やかなせいか、先生たちのやりたい放題だった。

そんな中で、少数派でありながら子供第一をひっさげて、果敢に小柄ながら他の先生に一歩も引かない野垣先生。

職員室でも煙たがられたのだろう…特別学級を担当させられるようになった。

同じクラスだったワイ君は特別学級になり、先生やワイ君は隔離された。大人の数の圧力には勝てなかったのだと思う。

けれど、私や、他の生徒に聞いた事は無かったが、野垣先生の教えは生きていた。

怒りをコントロールし、モップを振り回す事が無くなった生徒、輪ゴムで虫の首を跳ねる生徒は居なくなった。

私は野垣先生という本物の教師と出会えた事で、信じられる大人も居るという事を知った。

もう、野垣先生はだいぶご高齢だと思う。

もしかしたら他界しているかもしれない。

だけど、私の中で野垣先生の教えは生きていて、野垣先生の教えがあったから生きてこられた。

野垣先生のような先生が数を占めていたら…

教師とはそれだけ責任のある未来を紡ぐ仕事だと思う。

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