本末転倒ばかやろう。
痛みがあったからこそわかる、とか
つらい経験があったこそ今の私がある、とか
そういう話がとにかく嫌いだ。
間違ってるといいたいわけではないけど
建設的じゃないと思う。
同じ経験があって、痛みを共感してもらいることが
かけがえのない救いになるのはわかる。
しかし、誰も彼も痛くないのが一番だと私は思う。
不可能で幼稚なこと言ってるのだろうけど
それは痛みや不幸が「必要」な理由にはならない。
「何もない物語なんて面白くないでしょう?」
そんな意味不明なセリフが大嫌いだ。
幸せだって自覚がないくらい幸せがいいに決まってる。
人の痛みは自らの経験でしか理解できない?そんな寂しいことある?
それじゃあ戦争のような不幸を肯定しているのと同じだ。
人が一度の人生で体験できることなんてごくわずかだ。
幸せの中で、人の痛みや苦しみを理解するために物語やフィクションがあるのだ。
人を思う想像力のために物語があるんだ。
物語みたいな人生を送るために不幸があるんじゃない。
痛みを、不幸を、病気を。変な風に肯定するのは変だよ。
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