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【風紋 27】吹けば青嵐

昨日無印からの帰り道に、無印からほど近い七福の湯へ寄った。いつもは誰かが行く時に同乗して辿り着いていた街中にある秘湯。ついに自分の行きたいときに、いつでも行ける馴染みのお風呂屋さんになってしまうのか。車ってすごい!と思う反面、行きたいところに行けてしまうつまらなさが体の中をほんの微量、流れていくのを感じてしまった。本当に天邪鬼でへそ曲がりで鼻曲がり。思わぬところにたどり着いてしまう偶発的な余白は、自ら広げていくしかないのだ。どこまでいっても、つまらなさは内側に潜んでいる。
そのようなことを、七福の湯の7つの壺湯を順番に巡りながら考えていた。壺湯7連単をすると、いつも立ちくらみをする。

昨日買った辞典をペラペラと眺める。語感辞典の方は、意味の説明をしながらその言葉の「硬さ」「使われ具合」みたいなニュアンスと近しい意味を持つがニュアンスのを記している。「こんな文章を書きたいときに、この言葉は適切なのかしら。不適切なら、どんな言葉が合うのだろう。」なときに、頼もしい相棒となるわけだ。ちなみに"相棒"は語感辞典によると以下の通りの意味になる。

一緒に仕事などをする相手をさし、会話や軽い文章に使われる砕けた感じの表現

『日本語 語感の辞典』岩波書店

確かに「頼むぜ、相棒!」は砕けた感じだ。類語の相方/相手/パートナーとは語感が異なることは、なんなく肌に馴染む。言葉選び面白いな〜!

風と雲のことば辞典もペラペラめくる。今日は"青嵐"という言葉が気に入った。字面と音の響きがかっこいい。

新緑の季節に青葉をそよがせて吹く、爽やかだがやや強い風。また緑におおわれた山の気のこともいう。

『風と雲のことば辞典』講談社学術文庫

最近心地よく信濃町を揺らしているのは青嵐だったみたい。青嵐という言葉自体はなんとなく知っていたけど、君のことだったのか!と分かるとより親やすい存在になる。もう少し存在を感じていたいけど、もう少し季節が移ろうと別の風になってしまうんだろうな。来年はおかえりなさいって言いたい。

青嵐といえばヨルシカの又三郎という曲のサビに使われている。退屈で窮屈な社会を青嵐に吹き飛ばしてほしいという願望を軽快に叫ぶ、宮沢賢治の『風の又三郎』を下地にした作品だ。風の又三郎は、国語の授業でやったんだっけな?風にまつわるものに興味がむくむく湧いている今、手にとってみるといいかもしれない。
無印で出会った辞典が、風の又三郎を連れてきてくれる面白さ。

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