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大切なものを捨ててみる

初優勝の賞状を棺に


大切なものを捨てるのは大変勇気がいります。
自分が功績をあげて、表彰された賞状などは家宝のように大切にあつかいます。

それをいとも簡単に、大切な賞状を灰にした人がいます。

大相撲の阿炎関です。
彼は夏場所で、初土俵から最速の7場所目で幕内優勝をはたした大の里関と優勝を争い、二度目の幕内優勝に迫りました。

阿炎関は2023年12月に師匠の錣山親方(元関脇寺尾)が亡くなった際、棺の中に自分が初優勝したときの表彰状をそっと入れたところ、周囲の人たちから「そんな大切なものを!」といわれたそうです。
それに対して「また優勝すればいいですから」と答えたのです。

賞状はお金と同じで、それ自体は価値を持たない紙切れです。
賞状に書かれた業績や功績に価値があるから、賞状が大切にされるのです。賞状を異なった角度から見てみると、業績や功績に価値があるほど、反比例して賞状の存在意義が縮小するように思います。偉大な功績ほど、賞状で改めて讃えなくてもいいからです。

阿炎関の幕内優勝は彼のこれまでの生涯にとって、最も大きな功績です。しかし、賞状がなくなっても、幕内優勝が否定されることにはなりません。幕内優勝の功績がいささかも削られることもありません。

賞状は功績を証明するには便利


小さなスポーツ大会や多くの人が知らない功績で表彰された賞状は、あるのとないのでは信用度が違います。若いころ、国体で優勝したことがあるといっても、賞状がなければ信用されないかも知れません。マスコミ報道もされていない場合は証明するのに苦労しますが、賞状があれば、信用される確率はグッと上がります。

私の親族が大平元総理が外務大臣のとき、大平さんから大臣表彰を受けたことがあるが、賞状はどこにあるのかわからない、そんなとき、証明する方法はないかと外務省に問い合わせ、調べてもらいましたが、半世紀以上前のことなので、資料が残っていないと報告を受け、外務大臣表彰があったかどうか証明することはできませんでした。こんな場合は賞状の存在が大きいです。

メダルの価値は?


7月からパリオリンピックが開かれます。金メダルなど、メダルをどれだけとったか、誰がとったか、どの国の選手がとったかが、ニュースの中心になります。選手がメダルを獲得すると、テレビなどの報道陣の前で、メダルを見せるよう求められます。

これも考えてみれば、おかしな光景です。材質や色彩、形状、重さも決まっているメダルです。改めて見て変わるものではありません。メダル獲得に至った話に比べれは、放映しなくてもかまわないことがらです。

また、選手がメダルをどこかに忘れたり、なくしたりするとニュースで大騒ぎする様子が報道されますが、少し客観的な角度から見ると、「大騒ぎするほどのことかな」と疑問に思います。
素晴らしい功績をあげれば、表彰されてうれしい、その証となる賞状があれば、大切に保管して、ときに見ては思い出し、その頃の自分をほめてあげる、その一連の行動をするときには賞状は有効です。

賞状がなくてもたいした損失ではない

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