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検証 大阪維新の会 「財政ポピュリズム」の正体(ちくま新書/吉弘 憲介) を読んで


たまたまお勧めされ、久々に政治系の本を真面目にメモしながら読みました。ところが膨大な量となりXで書くのは難しく、noteを作ってみました。初めてゆえ、特に飾り気もない文章の羅列で申し訳ない。これでも頑張って最小限にまとめたもので、気が向いたら他にも色々書くかもしれません。素人ゆえ的外れならご容赦下さい。なお私は、都構想支持かつ維新不支持のレアキャラです。珍しいので理解に苦しむ人も居るでしょうが、お間違えなきようお願いします。


明らかに反維新バイアスがある著者は関西在住歴も浅く、歴史的経緯など大阪への解像度が低い。財政ポピュリズムへの懸念は一般論としては否定しないが、大阪に適用することには疑義がある。

一番は、開発投資が市中心部に偏重し、府全体の成長は横ばいとの指摘。府市の【対立から協調】の文脈では、市内投資は増えて当然で、問題視すること自体がナンセンス。相対的に市域の成長は高いと思われるが、経済分析は府のみで市には触れていない。

単なる二重行政(機能の重複)ではなく、二元行政(府市の排他的運用により、市内への府の投資不足)こそが大阪低迷の根本原因であるという、都構想を巡る問題意識や歴史的経緯の理解が乏しいのでは。

また、GDPや所得などはすべて「一人当たり」で分析しているが、若年女性の社会増が多いなどの大阪の特性に言及無く、考察不足。

経済分析とは逆に、財政分析は市のみで府に触れていない。そもそも政令市特有の義務的経費の重さや、大阪で顕著な高齢化率、生活保護率の高さ等に触れずして、大阪市の財政分析が成立するとも思えない。また他市との職員削減の比較では、地下鉄民営化という大きな特殊要因にすら触れておらず、全般にデータの扱いに恣意的なものを感じる

選別主義(既得権益)と普遍主義(財政ポピュリズム)を対比し、弱者・公共財の観点から選別主義が望ましく普遍主義は問題だと、大まかに言えば主張している。「中之島一家」には触れているが、当時に【行き過ぎた選別主義】が横行し、その反動が維新の原動力となったとも言える経緯には触れていない。

「たとえ誰かが困ろうと、自己利益が確保される政治に魅力を感じるかもしれない(P190)」とあるが、弱者を社会で支えること自体を否定していない大阪人にとって失礼極まりない。牽強付会で有権者を貶めて反感を買うアッチ系のいつものパターン。

財政破綻の危機 → 人件費などコスト削減 → 公債費増(均衡財政主義)→ 財政健全化にメド → 投資的経費増
という維新府市政の流れは一部の過激さは別として、ごく自然に思えるが何を批判したいのかすら不鮮明。単に「実は維新は小さな政府主義では無いよ」と言いたいだけか。個人的には「大きな財政、小さな裁量行政」指向だと認識しているが、特に深堀りも無し。

他にもツッコミどころ満載だがこの辺で。強いて良い点を挙げれば、

  • 「財政ポピュリズム」を再定義し論じようとした

  •  新自由主義批判の文脈だけでは維新を語れないとした

  •  大阪の成長は中心部やインバウンドに限定的と指摘した

  •  平野区の地価を例に市内でも波及効果が少ない地域があると指摘した

辺りか。個人的に下2つは維新政治の大問題だと思っており、もっと深堀りして頂きたかったほど。

総じて学術的な「維新分析」としてはデータが足りず、ロジックも甘くで、「反維新本」としても踏み込み不足な印象。正直、維新批判者の論点はいつもズレていてもどかしい。インバウンドは維新のおかげでは無い、と言いたいなら、効果を外的要因と大阪要因、さらに維新要因などと分解・考察するくらいの事をして欲しい。

政策的投資の市域中心偏重は疑似都構想下では当然ながら、周辺地域やその他の産業への波及効果が不十分なのは確かだろう。だからと言って、短絡的に万博・IRを問題視するのは間違い。地味で地道な経済政策が維新の弱点であり波及の弱さの原因だと思われるが、大阪人としては「どちらもやれ」が本音だろう。ついでに、コロナ対応への評価が高いのはメディア露出の影響だと疑う一方で、都構想・万博・IRの評価が低い事もメディアのネガティブ・キャンペーンの影響かも?と言えない所が、筆者の強いバイアスを醸し出している。

党派性バイアスが強い主張はとても学術的とは言えず、維新批判も的外れだったり甘かったり。大阪維新と国政維新も、府と市すらも未だ別物であり、明確に切り分けずに論じられては困る。今の政策は大阪の特殊事情や歴史的経緯の反映であり「これは大阪に限った話では無い」との書評が多いのも違和感。だから著者に限らず、維新を論ずる人は総じて【大阪への解像度が低い】と評価せざるを得ない。

同じ事は国政維新側にも言え、大阪の成功体験を国政や他府県で主張しても無意味。「身を切る改革」は大阪が破綻寸前で、既得権益のイメージが最悪だった特殊事情から一定許容されただけの話。大阪維新は都構想を実現できるとは思えず見限った。それでも維新に消極的支持者が多いのは、批判者側の責任大と認識すべし。適切な批判をし、彼らに維新以外の選択肢を与えて欲しいと、心から、強く望んでいる。

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