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活かしどころなき不思議なチカラ

みなさまこんばんは。ヲヨコです。

ほんっとにお恥ずかしいのですが第1回目で週1で更新できるようにと高らかに宣言し、第2回をその翌日くらいに更新し、第3回目が3週も空いての今日となりました。何人かの知り合いから「次の更新まだ?」と問われめちゃくちゃ胸が痛くなりましたが、今後は書きたいときに書きます!じゃなきゃ続かん!大幅な下方修正で大変恐縮ですが気が向いた時に適当に更新していきますので気が向いた時に適当に見ていってくださいな。

さてさて、世界は大変なことになっていますね…。コロナウイルス、本当に恐ろしいです…。普段の仕事にも大打撃で本当に困っています。1日も早くこの異常事態が収束することを祈っています。会社もテレワークになり、外出も極力自粛しているので自分のことを見つめる時間と次の記事のネタを考える時間が増えました。

そして後者にふけっている時、ふと僕が長年戦っているこの”最も無駄にして最も謎”な特殊能力について書こうと思いました。今日のテーマはこいつです。突然ですが僕には特殊能力があります。それは何にでも「色」が見える能力です。「見える」というよりは「見えてしまう」というか、「感じてしまう」というか、この説明本当むずいんですよね…なんせ感覚的なことなので。そして最も厄介なのがこの能力、自分がこの存在に気づいてから7~8年は経つのですがいまだに使い方、活かし方、そして何かとの関連性が分からないんです。読者の方でどなたか「それ、こんな風に活かせんで!」っていうアイデアあれば教えてください。

能力能力ってなんのことやらと思いますので、まずはこの特殊能力についてもう少し詳しく説明します。実はこの能力には正式名称があるようで「共感覚」というものだそう。

共感覚とは?

(以下Wikipediaより引用)ある刺激に対して通常の感覚だけでなく異なる種類の感覚をも生じさせる一部の人にみられる特殊な知覚現象をいう。 例えば、共感覚を持つ人には文字に色を感じたり、音に色を感じたり、形に味を感じたりする。 英語名 synesthesia は、ギリシア語で共同を意味する接頭辞 syn- と感覚を意味する aesthesis から名づけられた。感性間知覚。

この力を持っている人にもいろいろなタイプがあり、「音」から「色」を感じる人、「文字」から「色」を感じる人、「形」から「味」を感じる人など様々なようですね。ちなみに僕は2つ目の「文字」と「人」から「色」を感じるタイプです。文字の中でも特に「数字」から強い色を感じます。でもこれ、気づいてないだけで多くの人が持ってると思うんです。例えば今これを読んでくれているあなた、「A」って何色だろうと考えると「赤」じゃないですか?ほんで「B」は?きっと「青」で「C」は「黄色」そうでしょ?ちんぷんかんぷんな人もいれば「え?やばい!なんでわかるん?」って思う人もいることでしょう。そういうもんなんです(笑)

この感覚に気づいた瞬間

この感覚、物事を自分で深く考えるようになるまでは「これが何かの感覚である」ということにすら気がつきませんでした。そのため誰かに話したり、特別視したりということは一切せず自分の中にただただある感覚でした。くつのサイズが21.5だった小学校低学年のある日、下駄箱の前でボロボロになった靴を見て「くつが小さくなってきたからそろそろ黄色にしないと…」そう感じた瞬間があったことを鮮烈に覚えています。当時はなんでこんな風に思ったのか分かりませんでしたが、後に高校生くらいになってこの日のことをふと思い出し「僕の中では22が黄色で21.5(←ちなみにグレーがわずかに入った白)の靴から22(黄色)に変えたかったんだ」と気づきました。これが僕が記憶しているこのヘンテコなチカラとの出会いです。こんなことを感じたのはくつのサイズだけの時だけではなく、身体測定の時にも。「黄緑」の140cm代から「紺色」の150cm代になった時はなんだか大人になった感覚がしました。今ですか?今は「オレンジ」の180cm代で「赤」の190を目指してます。(意味わかんないですよね笑)

「人」や「人の名前」からも感じる色

「さっきから何を言ってるのかわかんない!」という方もそろそろ出てきそうですが続けます。僕の場合「数字」以外にも「人」や「人の名前」からも「色」が見えます。例えば誰かとの新しい出会いがあった時、僕はその人のことを色で記憶することが多いです。とはいっても街ですれ違ったり視界に入ったりする全ての人から色が見えるわけではありません。基本的には「話す」ことで印象・声の高さ・話し方・雰囲気・名前など様々な要素によって色が決まります。そして不思議なことにその人との仲を深めていったり、付き合いが長くなると時折その色もまた変化します。色を感じない場合やどんな色を感じたのか忘れてしまう場合もあります。

面白いことに強烈な色を持っている苗字などもまれに存在します。これがかなり厄介です。一例をあげると「五十嵐」さん。僕の知人に「五十嵐」さんはいないのですがこの苗字、強烈な紫を放っています。これは予想なんですけど「嵐」が紫なんですよね僕の中では。それが五十もあるもんだからとんでもない紫になってるんじゃないかと仮説を立てているのですが…わからん…。もしいつか出会った時にはその人の雰囲気や声などからその色がどうなるのかすごく楽しみにしています。

この不思議なチカラの使い道やいかに

はてさて、チンタラと雲を掴むような話をしてきたわけですが、僕は個人的にこの力をうまく利用できているとは到底思えません。理由は明確です。「その色が示す意味がわからないから!」この一点ですね。「黄色の人は優しい」とか「青の人は冷たい」とか一貫性があれば何かしらの理由づけができそうなもんですが本当に直感で「色」を感じてそれが消えたり強くなったり変化したりするもんだから本当に自分でも訳がわからないんですよ。

この話を誰かにしたとき大体の場合結果は2タイプに分かれます。口をぽかんと開けて何も話さなくなるタイプと「私は何色?」と食いついてくるタイプ。前者はいいんですが後者になると結構困ります。なぜならこのチカラ、タチの悪いことに「この人何色だろう」と考えると見えないんですよね。よっぽど強い色じゃないと。

ということで僕はこの能力を使ってアコギな「占い師」にでもなって一儲けするのは難しそうです。だって考えると出てこないんだから。これからも僕はこの最も無駄で最も謎な素晴らしいかどうかもわからない能力と戦っていきます。どなたか「その能力、こんな風に使ってみては?」とのアイデアあったら教えてください。共感覚の研究をされてる方がいらっしゃったら真相究明のためにご協力いたします!そしてもし読者の中にこの不思議な色の話、「めちゃめちゃわかる!」って同志の方がいらっしゃったらお話しましょう。何かわかるかもしれません。最後までちんぷんかんぷんだったあなた、ここまで読んでくれてありがとう。

濃いピンク色の3月から薄ピンクの4月へ。

2020年3月31日

今回の日記の舞台:自宅(京都市)


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