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布教が成功するかは正直運だと思いたい
ごきげんよう、大淀です。
久しぶりの更新になりました。
皆さまいかがお過ごしでしょうか、私は相変わらずです。
この数週間、なんとなく書けない日々が続いておりました。
ネタがないというよりは、言いたいことがまとまらない…みたいな感じでした。
相変わらず二次創作をやっていて、それは変わらず私の日々の糧になっています。
それはそうなのですが、漠然とした感傷に心がざわめいていたのです。
昔少しだけnoteにも書いたのですが、自分の活動するジャンルに、最近ほんの少しだけ人が増えてきました。
しかし、同じ作品で活動する人が増えたという意味で。
推しカプは相変わらず自分の作品ばっかり引っかかってきて。
検索するうえで自分が邪魔すぎる…自分をブロックさせてください!という気持ちになることも多々あります。
ふと考えてしまうのです。
私がもっと素敵な作品を書けたなら、もっと人って増えたのかなって。
私は本当に文章も絵も漫画も上手くない。
でも出来るだけたくさん、手広くいろんな話を描(書)いてきたつもりでした。
でも別にそれが布教になったとは思えなくって。
よく布教のメソッドなど公開されていたりしますが、あれってすごく難しくて、結局実力がないと仕方ないのかもな…と気づくわけです。
私ってどうしたらよかったんだろう。
ちょっぴり悲しい。
そもそも一介のオタクが何かできるなんて思い上がりもいいところなんだけど。
じゃあ今までって無駄だったのかと言われると、そうではないとは思っています。
たくさん描(書)いたおかげで、自給自足とはいえ推しカプは増えましたし、たくさんの気持ちを込めて作った同人誌はどれも大切です。
その喜びの中にちょっぴりと無力感が混じって、私の胸に沈んでいく心地がするのです。
なーんてことを考えていたら、すっかりnoteを更新するタイミングを逃してしまっていました。
あんまり小難しいこと考えず、好きなように好きなだけ、他者のことなんて考えずに創作出来たら一番いいのにね。
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