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おめでとうが言えなくて
ごきげんよう、大淀です。
今日のnoteは暗いので、元気ない方はどうかブラウザバックして、のんびり美味しいものを食べてくださいね。
突然ですが、皆様は他人の幸せを喜べますでしょうか。
ここで何の迷いもなく胸を張ってYESと言える心根の優しい方は、どうかここからお立ち去りください。
それがお互いのためなのです。
一瞬迷って、実は…と思った方、わたしも同じです。安心してください。
つい先日、友達から妊娠報告を受けました。
こういう予感は当たるもので、LINEを開く前から何となく察しがついていました。
そして結果的に当たっていて、私は気持ちが曇っていくのを感じました。
たった一言、おめでとうが文字だけでも言えなくて、私は体調気をつけてねとだけ送って、スマホを切りました。
決して私は彼女の結婚も妊娠も羨ましいとは思っていませんでした。
結婚・出産したいと特に思ってもいなければ、ましてや子供を産み育てるという、命に対する責任を果たせる自信もありません。
だからそれ自体に嫉妬なんかない。
それに偽りはないです。
(ここで諦めないで!まずは行動しましょう!みたいは的外れなアドバイスをするのは嫌われるので、やめた方がいいですよ)
それなのに、正直何とでも気持ちに嘘をつけるメッセージ上ですら、おめでとうというメッセージがいてなかったのです。
もちろん、妊娠がおめでたいことなのか他人の私には判断がつかないから、言わないことが無難という気持ちもありますが…
このモヤモヤはなぜなのか考えていたのですが、2つ理由があるなと思いました。
1つ目は、世間一般的に「普通」と呼ばれるライフステージを歩む友人と自分を重ね合わせて、自分って大丈夫なんだろうかと不安になる気持ち。
2つ目は、きっとこの子とは今後会うことがなくなるんだろうなという寂しさです。
1つ目に関しては、人生がそんな定型的に進む人の方が稀であり、そもそもそれがその人の幸せかは別ということも分かっています。
しかし分かっていても不安にはなるものです。
人は自分の決断が本当に良かったのか、後ろ髪引かれる瞬間がある。
2つ目に関しては、結婚して子供までいて忙しいだろう友達を、私から遊びに誘うなんて私には出来ないからです。
私にはその慌ただしさを想像は出来ても理解はできない。私から声かけなんて、私にはきっと出来ない。
そして万が一誘われても、私は今までみたいに楽しくおしゃべり出来るか。
今の私にはあまり自信がありません。
これっきりなんだろうな…と漠然とした予感がします。
よく、本当の友達なら祝福して当たり前だ!それが出来ないなら本当の友達じゃない!みたいな意見を見かけますが、本当にそうでしょうか。
そもそも人間関係はその人の好きなところと苦手なところ両方あって、それでも一緒にいたいと思うから続くのだと私は思います。
それと同じではないでしょうか。
その子に対して我が事のように一緒に喜べる話題と、負の感情を抱いてしまう話題、それらが当然まぜこぜになっているのが人間関係だと私は思います。
そういう矛盾だらけな自分を許してあげられるようになりたいなと、最近の私は思っているのです。
久しぶりのnoteがこれかよって感じですね。
おやすみしていた間に考えたこと、また少しずつ残していきたいなと思っています。
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