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エモンド

少年タノーヴィは空き地でイアンに因縁をつけられ、半ベソをかいていた。 イアンの横にいるのは意地悪く笑うネオ。嫌なやつめ。 及び腰で見上げていると、イアンのゴツゴツとした拳骨を頭に喰らった。 堪えきれず泣き出す少年タノーヴィ。こんな時に飼い猫のエモンドがいてくれたら、イアンの脛を引っ掻いて退治してくれるのに。 次の一撃が繰り出された刹那、凛とした声が空き地に響いた。 「やめなさい!タノーヴィさんが可哀想じゃない!」 声の主は空き地のマドンナ、チャン・シズカ。

    • 酒は友達か気の長い殺し屋か

      初めて酒を飲んだのは、小学校入学前。当時飯場に住んでいた僕に、鉄筋屋の飯場ゴロが日本酒をすすめた。好奇心から飲んでみたら美味かった!ベロベロになって、ゴロツキ達にとめられたほど。 本格的に飲み出したのは中学二年生。親父は愛人と住み、僕と兄は別居を始めた。 家事全般をやらされ、兄からは毎日暴力を受けた。県の暴走族連合のリーダーで、極真空手の黒帯だった兄には敵わない。 極限まで追い詰められた僕は、台所にあった料理酒の剣菱の二級酒を呑むようになった。あっという間にキッチンドランカー

      • 13歳でキッチンドランカー

        最初に酒を飲んだのは物心つく前、飲んだと言っても、ドカタの飯場の納涼会でビールを舐めた程度。苦くてまずかった。 ことあるごとにドカタたちから酒を飲まされるうちに、自分からねだって少し飲むようになったのが小学生低学年。もうこの頃には、下地ができていた。 本格的に飲むようになったのは13歳。母は乳がんで入院し、父は愛人と一緒に別居して、兄の食事の面倒をすることになった。 極真空手有段者で暴走族連合リーダーで暴力衝動がある兄からのDVに耐えきれなくなって壊れそうになった時、料

        • 障害との付き合い

          生後3か月の乳児の時に、兄に眉間に野球ボールを投げつけられて、けいれんを起こした。おでこはボールの形に膨れ上がった。 父が抱えて病院に担ぎ込んだとき、医師は「運良く生き延びても重い障害が残る」と言ったと聞いている。 それから頻繁にてんかん大発作を起こすようになった。医師からは長生きしないと言われた。 父は「お前はケチがついたカタワだ」「知的障害になったらお前をぶち殺して、有り金全部使って豪遊してから出頭する」と何度も言った。 母が今わの際に「泣き止まないことにお父さん

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          生涯独り身を決めたわけ

          むかし、両親と兄と弟がいた。 むかしと言うのは、一切縁が切れているから。 まず自分の身上を。乳児の頃に兄に野球のボールを眉間に叩きつけられ、それ以来、てんかん症を患った。手足をばたつかせた後に硬直する大てんかんを頻繁に起こした。父は「ケチのついたカタワのガキ」と言い、名前で呼ぶことはなかった。ものごころがついたころ、母から「生後3か月の頃に、泣き止まないことに腹を立てたお父さんがおでこを殴りつけた」と聞かされた。 父親は荒くれ者だった。何事も暴力で解決するような人だった。

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          江戸っ子気質の大工さんは面倒くさい

          細かい修繕でも嫌な顔一つせずに任せられる大工さんって貴重なんです。 職人は仕事の出来にこだわって採算は度外視するなんてテレビでやってますが、これは大ウソです。本当の職人は、人工(にんく)や工賃を計算して仕事をしています。マイルストーンに縛られています。 それなのに、細かい修繕や営繕をやってくれる大工さんは本当に大切なんです。 浅草で代々長くやっていた材木屋が大工に転身して、その家の三代目と仲良くなりました。三代目は専務と呼ばれていて、弟が常務。親父さんが社長。小さな所帯

          江戸っ子気質の大工さんは面倒くさい

          手話を学ぼうとして挫折した件

          障害者の訓練校に通ったことがあります。 そこには手話サークルがあり、友人が参加していたので僕も始めました。 人の表情って知ってるようで知らない、まだまだ豊かなものなんだって驚きました。手話は腕の全体、顔の表情、視線など、普段使わない部分をフルに使います。 サークルを通じてろうあの友達が出来ました。つたない指文字と、あらかじめ勉強した単語で話をして、筆談も交えて会話を楽しみました。楽しんでいた…つもりでした。 ある日、彼らのコミュの中心人物である精神障害者に声を掛けたら、

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          食育より料理

          食育は人が子供の頃から生涯を通して健やかに生きるための基礎教育だそうですが、それは親元で暮らしていて、親が「食」に対して知識と調理技術を持っていることが大切です。 運よくそのような親に育てられたなら、子供は食育を意識しなくても、健全な食事を摂れます。しかし、独立したら状況は一変します。 大人になっても包丁を持ったことがない、ご飯の炊き方を知らない、さしすせそが何のことか分からない人がいかに多いか。その人たちは、母の味を恋しがりながらファーストフードを食べます。 せっかく

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          赤鼻のまっちゃん

          子供の頃に住んでいた社宅に、「まっちゃん」と呼ばれるおじさんがいた。ほとんどの人が本名を知らない。 まっちゃんはいつも酒臭くて、鼻が赤い。父からは、焼酎の飲みすぎであんなになっちまったと聞かされた。あんなというのは、いつもふにゃふにゃして、ろれつが回らないのにおしゃべり好きで、楽し気な昼行燈。 何度も同じミスをするけど、のれんに腕押しぬかに釘蛙の面にお小水。今回ばかりは命に係わるヘマだからガツンと言おうと思っても、揺れるまっちゃんと対峙すると力が抜けてしまうらしい。 子

          赤鼻のまっちゃん

          弟から見た世の中は笑顔に満ちている

          弟は幸せだ。高校野球部で潰した声で、いつも笑っている。大声で笑っている様子しか思い出せない。 少年ジャンプを読んでゲラゲラと笑うので、新しく買ったのかと思って貸してもらうと、1年前のものだった。なんでこれを読んで新鮮に笑えるのかと聞いたら、すぐに忘れるからと笑いながら言った。 ペットの犬の顔を口いっぱいに頬張り、犬が困って目をきょろきょろしているのを見て、大声で笑う。 ネコバスが何なのか母に説明しようと試みるがさっぱり理解されず、それでも床がふかふかで目が光って電線の上

          弟から見た世の中は笑顔に満ちている

          お父さんの「わ!」

          お父さんは声がでかい。子供のころから武芸にいそしみ、丹田で呼吸をする癖がついた。そのうえ、工事現場の仕事で、作業音に負けない声量が身についたようだ。 お父さんが小声で話すところを見たことがない。鼻歌も笑い声もとにかくでかい。人を呼ぶときも、距離感がないんじゃないかと思うほど声がでかい。同じ居間にいるのに、突然大声で名前を呼ぶ。家族は慣れている。 そのお父さんの楽しみの一つが、大声で家族を驚かせること。 テレビのミステリーや恐怖映像を食い入るよう集中して見ていると、胸が高

          お父さんの「わ!」

          夏を乗り切る母の味

          暑いと食欲がわきませんよね。わかってはいるけど、つい冷たい飲み物を飲みすぎてしまいます。 私の心の拠り所、柳家小三治師匠は、どうにも食欲不振で何も口にしたくないというときの救世主は「玉子かけ御飯」とおしゃってます。トークがCDにもなってます。 https://www.suruga-ya.jp/product/detail/231001489 私のおすすめはずばり、「とうふ丼」と「ニラ丼」です。子供のころからよく食べてました。 とうふ丼は、ご飯に冷ややっこを乗せ、かき混ぜた

          夏を乗り切る母の味

          幸せよりも穏やかさが心地いい

          社会に出てから、人と上手に友好関係を築けないことに悩み続けてきました。嫌われるようなことはせず、陰口は言わず、お節介を焼いて、雑用を買って出て自分の仕事は残業してやるなど、とにかく人と仲良くなろうとしてきました。そして、誰からも好かれることで承認欲求を満たしていました。 当時どのように評価されていたのか、今は分かります。「ただのいい人」「頼めば断らない人」「面倒ごとを押し付けられる都合のいい人」だったのです。それは職場だけでなく、プライベートでもそうでした。育った家庭でも。

          幸せよりも穏やかさが心地いい