もっと私の写真を撮って


写真を撮られることと褒められることは似ている。承認欲求だ。

人の写真をたくさん撮る。どうも私の身近な人達は魅力的で、写真に収めておきたくなる。画像フォルダは友達の写真だらけ。
みんな私のことは撮らないのね。
やっぱり写真を見返しても自分は少なくて、私には撮りたくなるほどの魅力がないみたい。と、勝手にへこんでみる。

人のことをほめれば、自分もほめられるようになり、お互いの肯定感も自己肯定感も高まるので、いいことしかありません!

みたいな言葉をどこかで目にした。
私は実行した。そして習慣になった。たくさん身の回りの人のことを褒めて、人のいい所を見つけるのがより得意になった。
だけど、自分はそう褒め返しては貰えない。
人のことを褒め続けても、自分が褒められることはなく、ただただ悲しくなってしまった。

写真に関しても褒めに関しても、報いの様なものを期待している自分を恥じ、嫌悪感すら覚える。
両者共に、されることを期待するものでは無いと思う。人に期待しないことのうちだ。
承認欲求が丸出しになればそれこそ恥ずかしい。

写真を撮ってもらえるような人になりたい。