こっから
見てくれてありがとうございます。
わたしが今いる人生の切り替え地点のような場所で、社会人になってからこれまでのことや今感じていることを書き留めておこうと思ってnoteを開きました。
つらかったこと、苦しかったこともできる範囲でそのまま書いていますので、読んでいて苦しくなったらどうか無理せずにページを閉じてください。
𓇼⋆。˚﹏﹏𓇼𓂃⋆.˚𓂃 𓈒𓏸𖦹.
あと半月あまりで仕事をやめることにした。
少し休んだら、来月から新しい仕事をはじめる。
国家試験に合格し、第一志望だった会社に入り、学生時代よりもはるかに広い部屋に引越し、すべてがキラキラして見えた3年前。
でも思ったよりこの仕事は体力勝負で、慣れないシフト勤務で、すごくハードだけれどそれは入社前からわかっていたし、わかったうえで自分で選んだし。
なにより自分が6年間をかけて必死で貪るようにつけてきた知識がたくさんのひとのためになっていることがうれしかった。
ありがとう、あなたに相談してよかった、そう言われるたびにすべて報われる気がした。
学生時代は学業が忙しくほとんどアルバイトもできなかったから自由に使えるお金はあまりなかった。その反動もあって、たくさん働いて自分のためにお金を使うぞ、と意気込んでいた。長年欲しかったけど値段で迷っていたようなものは、だいたい1年目のうちに手に入れた。給与だけは業界トップクラスだった。
土日祝日は基本的に出勤。繁忙日だから。
年末年始もGWも夏休みも関係ない仕事だ。
だいすきなライブやイベントに行くために、休みたいときは前から希望を出していた。嫌な顔をされることもあったけれど、希望は通っていた。
だからわたしの休日はいつもなにかしらの予定で埋まっていた。学生時代と違ってライブのために遠征だってできる。おいしいものも食べられるし、かわいい服もたくさん着られた。
でもいつもどこか満たされていなかった。
3年目になると職級が上がり、いわゆる責任者のような仕事をするようになった。
「それって本来はわたしの仕事じゃないよな…」と思うようなことが増えた。でも「わたしにしかできない、代わりのきかない仕事」が大きな柱としてまんなかにいてくれたから、なんとかやれていた。わたしが倒れでもしたら職場はおわりだから。
職級が上がったことで給与も一気に上がった。
それにともなって出勤時間も増えた。休みは減った。
希望する休みも少しとりづらくなった。でもライブやイベントに行くことがわたしの生きがいだから、そこの日程だけは頼み込んで休みを死守した。
とにかくがむしゃらに働いて、パーっと楽しむ。
そんなことの繰り返しだった。
給与はたしかに増えているはずなのに、お金は貯まらなかった。
社会人3年目も終盤にさしかかった2月ごろ。
いつものように働いていた日の夕方、突然大量の音が耳になだれ込んできた。
有線から流れる音楽、まわりの人たちの話し声、レジのスキャン音、モニターから流れるCMの音、業務連絡のアナウンス、ゆっくりと足を引き摺るような靴音、乱暴に物を置いた音。
全部知っている音だし、毎日聞き続けてきた音だけれど。
うるさい。うるさいうるさい。
もう本当にやめて。
バックヤードに逃げたけれど、有線の音楽は追いかけてくる。息が苦しい。涙が止まらなかった。
その日は通し勤務で夜9時半までのシフトだったので、退勤まであと4時間ほどある。とてもじゃないけど働けないと思った。
マネージャーに電話をして帰らせてもらう。といっても運営上すぐには抜けられないので、30分ほど経ってから到着したマネージャーに業務を引き継いで入れ替わりで早退した。
ああ、今病院に行ったらきっと、パニック障害とか適応障害とか診断されるんだろうか。そしたらとりあえず軽めの向精神薬とか処方されるんだろうな。やだな。
「大量の音」から解放されたひとりきりの車内で、妙に冷静にそんなことを考えていた。
運転している間にだんだんと気持ちは落ち着いてきて、帰宅するころにはわりと元気になっていた。
聴覚過敏症状の原因になりそうなことを調べると、どのサイトにもまず「ストレス」と書いてある。
まあそりゃそうか。その頃のわたしは1日12時間を超える勤務があたりまえになっていた。
Twitterで聴覚過敏のひとがおすすめしていた、会話ができる耳栓というのを注文した。届くまで時間がかかったから翌日からAirPods proをつけて出勤した。
届いた耳栓をして出勤してみたら、嘘のように音のエッジがなくなった。音が丸くなったとでも言えばいいのだろうか。とにかくなだれ込んでこないし、刺さってもこない。ノイズキャンセリングとは違うから聞こえてはいるのだけれど、脳や心にまでは届いてこないかんじだ。
耳栓をしていてもしんどい日はあった。でもまあなんとかなった。なんとかなってしまったから、2ヶ月もそれでやり過ごしてしまった。
なんとなく転職を考えるようになったけれど決断には至らず、転職エージェントのひととぼんやりLINEのラリーを続けていた。
𓇼⋆。˚﹏﹏𓇼𓂃⋆.˚𓂃 𓈒𓏸𖦹.
4月。ある日突然、だいすきなアイドルのコンサートに行けることになった。直前でチケットのご縁が巡ってきたのだ。なにがなんでも行きたいところだったけれど、もともとチケットを持っていなかったので休み希望を出していなかった。繁忙日の予測だったから当然のようにシフトが入っていた。
ダメ元でマネージャーに相談すると、たぶん日程調整できるから休んでいいよとのこと。
舞い上がったのも束の間で、やっぱりだめだとすぐに言われた。
そうだよね。仕方ないよね。前もって言ってなかったし。もうずっと人手不足だし。社員、またひとり休職したし。あのひともずっと体調悪そうだし。わたしの代わりはいないんだし。急に休んだらみんな困るし。仕方ないよね。
あーあ、なんのために生きてるんだろ。
もうやめようと思った。ぜんぶ終わりにしよう。
買うだけ買って観れていないDVD、パソコンに取り込む気力のないCD、契約してるのにぜんぜん観れていないサブスク、出かける予定がなくて着てあげることができていない服。あげくの果てにだいすきなアイドルのライブにまで行けなくなってしまった。
仮病や家族の事情などそれらしい口実でも使えば休めたかもしれないけれど、この3年間で無駄に大きくなってしまった責任感が邪魔してできなかった。なによりもうそんな気力が残っていなかった。
もうぜんぶぜんぶやめてしまおう。
そう決めてから、転職活動は驚くほどスムーズに進んだ。勢いに任せて2週間で6社受けたら6社受かった。
文章を書くのはきらいじゃないので、履歴書や職務経歴書を作るのはあまり困らなかった。
でも面接は就活のとき以来だったので緊張して、いつもかなり早く現地についてしまっていた。
そんなときに必ず聴いていた、だいすきなアイドルの曲がある。
はじめはただテンションを上げたり緊張を紛らわすために聴いていたのだけれど、だんだんとわたしの応援歌になっていった。
この3年間は思い描いていた理想の社会人とはちょっと違っていたけれど、きっとわたしの人生も「順番通り行ってないだけで予定通り」なんだ。
まだまだこっから、こっから始まんだよな。
そんなことを考えながら転職活動をするなかで、これからやりたいことが見えてきた。
次は、精神科・心療内科の領域をより学べるような環境に行こうと思った。
メンタルに不調を抱えているひとはとても多いし身近にもいる。わたしはもともと浮かれポンチのハッピー女だったのだが、こんなに簡単にメンタルに不調をきたすことになるとは思っていなかった。だから医学的に知識が深まればそんなに怖く無くなるんじゃないかなと、ひとつ安心できる武器を手にできるんじゃないかなと、まあそんなところだ。
同じような症状で悩んでいるひとのひかりに、ちょっとでもなれればいいなと思う。
仕事に慣れてきたら精神科の認定資格とかも取るつもりだけれど、とりあえずはわたし自身がわたしらしい生活を取り戻すことを優先したい。
会社に借りてもらっていたマンションを出るために少しずつ引越しをしている。新しいわたしの部屋はだんだんと形になってきて、とりあえず寝る場所だけはある状態。
ここを世界でいちばん安心して休めるわたしだけの猫ちぐらにしていこう。だいすきな本やぬいぐるみをたくさん並べて、かわいいカーテンも買おう。植物も置きたいけれど、ズボラなわたしにはやっぱりフェイクグリーンかな。
そしたら久しぶりにプロジェクターをつけて、買ったきり観れていなかったDVDを観たい。契約しているだけになっているサブスクでずっと観たかったドラマも観たい。
そうやって、少しずつ少しずつわたしを取り戻していこうと思う。
わたしの人生、こっから始まんだから。
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