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気がつけば74歳

今日は、ハードワークだった三日間を過ごしたので、家で身体を休めています(笑)。
健康で、与えられた時間空間を誰に拘束されるわけでなく、気分良く過ごしていますが、なんとなく74歳になってしまっているという感じです。

男三人兄弟の末っ子として生まれ、親兄弟に可愛がられ、高校・大学と自分で進路を決めるわけでなく、特に大学は、親父が関大・関学・同志社の願書を取ってきてくれて、たまたま運良く受かったのが関大法学部だけ、関学は数2Bがあるので、法・経・商・社と四つとも落ちてしまいました(笑)。
流石にこの時は親父は怒りました(涙)。

田舎の高校生からすると正門から見える関学の学舎はなんともハイカラに見えて、入学したかったのです(笑)。

でも、たまたま入った法学部、「法とはなんぞや」「世の中、法というカテゴリーから分析する態度」「原理原則」etc.
社会に出て、世の出来事を俯瞰する態度を身につけていて対処できたということは助かったと思っています。

親父は、私が大学4年生の時、急死しました。
結局、銀行への就職が内定していましたが、親父が務めていた市役所に勤める人生を歩んだのです。
親父は死ぬ直前まで毎日日記をつけていた人間です。
で、末っ子の頼りない私のことをずっと心配していたようです。

気づいたことは、親父は、自分の死をもって頼りない三男の人生の道筋をつけてくれたのだと。

私の兄貴は二人とも国立大学の卒業生で、私だけが私立。
次男は会社のエリート街道を進んでいました。
そんな中、私は、市役所内では人がやりたくない部署を転々としていました。
次男曰く「親父は市役所では人気がなかったのかなぁ?」と。
私は思いました「俺は俺の人生、与えられた仕事をただ一生懸命するだけだ」と。
今から考えると、一貫して市民と直接接する部署ばっかり歩んできました。
そんな人生、色んな人・色んな人の人生を見させていただきました。
そんな経験が、私の人生を育んでくれたようです。
一番大事なことは、陰日向無く、課題と向き合い、最善の答えを希求するプロセスを作れるかどうかです。
人はちゃんと見てくれています。
絶対背中を見せてはいけません。ちゃんとしていれば、ちゃんと助け船が入ってくるのです。
人生捨てたモノではありません。
22歳から務め始め、定年、定年後5年間の嘱託、2年間は指定管理で
老人センターの所長、一年は郵便局で、中元・お歳暮時期のアルバイト、
その後は、シルバー人材センターの紹介で今のバイトがすでに6年目?

エンプロイアビリティは抜群なようです(笑)。

一番華やかかりしころのデータが未だにWEB上にあります。

https://www.doyu.jp/kensyou/regula/article/chudokyo76_14kuramoto.pdf

神戸ポートピアホテルで開催された「全国大会」にて、1時間半パワーポイントで講演しましたが、この後、日本各地から声がかかり、あっちこっち出向きました(笑)。

結局、振り返りますと、自分でこうしたいああしたいということはありませんでした。
人様が道筋をつけてくれて、ただ、その道筋を真摯に歩いてきたという感じです。
私のすきな言葉は「さりげなく」です。
しゃかりきになるのは暑苦しいのでノーサンキュウーです。
誰しも自然体で時間空間を過ごすのは理想だと思いますが、「運」も見方につけて生きる。
後、死ぬまで生きることになりますが、できることなら、今の調子がずっと続くよう祈るばかりです(笑)。

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