こどもたちからおしえてもらったこと
棚を整理していたら、夜寝る前、
こどもたちとのおしゃべりを記録した
8年くらい前のノートが出てきました。
娘が6歳、息子が4歳の時のことです。
ある日、何かの話の続きで娘が
「ママが怒ったらすごく怖いよ。あの鬼の絵
(弟が幼稚園で描いた大きな赤鬼)にそっくりだよ」
と言いだした。
私「ママ怒ると怖い?」
娘「すっごく こわいよ」
私「別に怒ったって、食っちゃうわけじゃないし」
娘 「ママ、心食べる」
私「・・・・・・・・・・、心ってたべられるの?」
娘「食べられて なくなっちゃうんだよ」
息子「ママがおこって、叩いたから
心がとけてなくなちゃったんだよ」
娘「そーだよ。叩かれたら心って
とけてなくなっちゃうんだよ。
でもカケラでも残ってたらそこから
また大きくなるからだいじょうぶ。」
私「心小さくなっちゃたのかなー?」
娘「もう、大丈夫、心あげたから」
私「心ってあげられるの?」
娘 当然という感じで「簡単だよ、
ただ手をつないであげればいいだけ」
私、怒ることについて聞いてみたくなって
「じゃ、玄関のところにパンツ
脱ぎ散らしたままにしていたら、どうするの?」
娘はいつも玄関の横にある
トイレの前にパンツを脱ぎ散らしていた。
娘「気づいたら、拾えばいいんだよ」
私「えー、誰が-?」
娘「気づいた人」
私「えー、ママやるのやだなー」
娘 「Nちゃん(自分)、気づかないだけなんだから、
全然気づかないんだよ。だから、ただ言えばいいんだよ。
その場に行って、ママはただ言えばいいだけ、
そうすれば怒らずにすむよ」
6歳の娘と4歳の息子の言葉に私は、
なんてすごいのだろうと衝撃を受け、
ただただほんとにそうだなーと感心したと
書いてありました。
大人が何でも教えてあげなければと
思っていたけれども、子どもの方が
本当に大切なことはよく分かっている
と感じた出来事でした。
私にとって「怒らないで、ただ言えばいいだけ」
は、宝物の言葉です。
娘は、それから1年くらいたって
「ほら、できるようになったでしょ」と、
得意げに言ったことを覚えています。
下の子が2歳くらいからアトピーがひどくなり、
夜中に、かゆがるので体を撫でてやり、
ゆっくり睡眠をとれないことが1年半くらい続きました。
終いにわたし自身のアトピーもひどくなり、
ひどい倦怠感で家事も育児も辛くて
たまらない状態になってしまいました。
疲れ果てていた私は、イライラして
子どもを怒ったり、たたいてしまうこともありました。
たくさん叩かれたり、怒鳴られて育った私は、
すごくいいお母さんになりたい、
子どもたちは決して叩くまいと思って親になったのに、
全然理想の親になれなくて、
子どもたちへの罪悪感でいっぱいでした。
あの頃の私にもっと助けがあったらな、
「親の時間」があったらなとすごくおもいます。
孤独で、どうしていいか分からない不安にも
ただ耳を傾けてくれて、
「すごくよくやってるよ、それでもいいお母さんだよ」
という励ましがあのときの私にあったら、
大切な子どもたちの心を傷つけて、
とかしてしまうようなことをせずに
すんだかもしれないと思います。
夜中にひどくかゆがる息子を撫でながら、
一緒に死んでしまったら楽になるかもと
思ったことがありました。
すごい子どもが大好きで、
やさしいお母さんになりたかった自分が
そんなことを思うことも悲しくて、
あまりに辛いとそんな風になってしまう
のだなと知りました。
その後、私にはいろんな助けがあって
元気になることができました。
子育てを辛いと感じているお母さんたちが
ひとりぼっちで苦しまないで、
沢山のサポートがあると感じられたら
ほんとにいいのにと思います。
のんちゃん
のんちゃんへ
子どもたちの心は全然溶けていないよ。
おかあさんであるのんちゃんはもちろん、
いろいろな人と手をつないで、触れ合って、
100%復活して、ますます大きな心になっていると、
わたしは思いますよ。
人の心って、完全に溶けてしまうことは
決してないとわたしは考えています。
どんなに傷ついた人のこころにも、ちゃんと欠片が残っていて
他の人の優しいこころや、身体に触れたら、何時か必ず
少しずつ復活すると、わたしは思います。
人と触れ合うことって、もしかすると
のんちゃんの子どもたちが言うように、
本当はとてもかんたんなことなのかもしれません。
そしてそれが、きっと助け合うということなのだと思います。
のんちゃんは、助けてもらうだけでなく、
いろいろな人達を助けてもきたし、
今は、ますます助け合うこころをたくさん使っていますよ。
子どもたちから教えてもらった、とてもたいせつなことを
書いてくれて、ありがとうね、のんちゃん。
わこ