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フィッツジェラルドは第一次世界大戦に従軍したか(あるいはイランはアラブではない件)


2019年のことで恐縮ですが、めったに観ないサッカーのアジアカップを連日観る機会がありました。なんか姉がにわかに一人ブームになっていたので、テレビ観戦を付き合ったのです。
ベスト8では中国、韓国、ベトナム、オーストラリアが敗退し、日本のほか、アラブ首長国連邦、カタール、イランがベスト4に進出しました。
そこで何気なく姉が「これで日本以外はアラブの人たちの戦いだね」と言ったので、「イランはアラブじゃないよ、ペルシャ人の方々の国だよ」と指摘したところ、「えっそうなの。すごいね、詳しいね」と感心されました。

私が博識なわけでもなんでもなく、姉が無知なわけでもなんでもないと思います。ただ、まあ世界史を普通に勉強していると、イランはペルシャ語を話すインド・ヨーロッパ語族の方々の国というのは、なんとなくインプットされます。

解説の早野宏史さんも、イラン戦の時はしきりに、「イランの選手はイタリア人みたいにフィジカルが強いんですよ。アラブの選手とはイメージが違いますね」という趣旨のことをしきりに繰り返していたし、まあそういうことが言いたかったんでしょうね。

イランはアラブじゃないというのは、私たち一般人なら間違えてもしょうがないと思うんです。

ところが数年前、日本テレビのあるバラエティ番組で、「読売新聞社の本社に潜入!」とかなんとかの企画があったのを思い出しました。その企画ではいかに読売新聞の記者がエリートなのかを紹介していました。

そのうちの若手女性記者はなんでも、オサマ・ビンラディンに直接インタビューしたいがために、東大だか東京外語大学だかでペルシャ語を勉強したというのです。

ん?と思いました。オサマ・ビンラディンはサウジアラビアの人で、アラビア語じゃん。むしろペルシャ語は敵国語じゃん、と思ったわけです。

あーあ、こりゃネットで叩かれるな、と思っていたら、ネットの反応もないし、テレビ局の訂正や謝罪もありませんでした。

エリートだというマスコミも、こんなもんかな。と思った次第なのです。

民放のバラエティなら仕方がないかと思わないわけでもないのですが、NHKの『新・映像の世紀』でも、おや、と思う場面がありました。

私は基本的にNHKのドキュメンタリはまあ信用していまして、これまでもいろんなことを学びましたし、気づかされました。最近ではNHKスペシャルの『全貌二・二六事件 ~最高機密文書で迫る~』とかは素晴らしかったですね。最後に衝撃的な史実が明らかになるんです。びっくりしました。

そんな私のお気に入りの一つが、NHKスペシャル『映像の世紀』です。20世紀を映像で振り返ろうというシリーズなのですが、最近リニューアルした『新・映像の世紀』が放送されました。とても面白く、シリーズ全巻を一気に観ました。貴重な映像をよく掘り起こしたし、現代との対話ともいえる視座で、とても教訓を得られました。

しかし、第一次世界大戦のヨーロッパ戦線の塹壕戦の描写は、あまり納得がいきません。あのスコット・フィッツジェラルドの小説『夜はやさし』から引用しているのです。

一日数センチずつ、今の僕らが歩いて2分でたどりつく距離に、大英帝国は1か月かける。
あとに残されるのは血まみれのボロ切れのような百万の戦死者。

すばらしい描写ですが、フィッツジェラルドは第一次世界大戦のヨーロッパ戦線には従軍していません。志願はしましたし、のちに塹壕の跡を見学には来ましたが、彼の(英雄になりたいとの)夢は果たせませんでした。彼は後々まで参戦できなかったことを愚痴り、友人のヘミングウェイからは、こう慰められています。

お願いだから、戦争に間に合わなかったからといって、くよくよ気に病むのは止めてくれたまえ。ぼくは戦争でなにも見なかったし、なにも役立つことはなかったのだから

ロジェ・グルニエ『フィッツジェラルドの午前三時』

『新・映像の世紀』に誤りがあったわけではありません。でも従軍もしなかった、ロマンティックな感情しか持たなかったフィッツジェラルドのフィクションから引用するのは、あまり適切ではないと思うのです。

ネットで調べてみましたが、そんな疑問は発見できませんでした。まあ私がいいたいのは、

あんまりマスコミを信用してはいけないよ。

ということだけです。ありきたりですみません。

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