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カルロ・ギンズブルグの『チーズとうじ虫』をちゃんと読む(第1回)

私はくだんの歴史学者さんに感謝しなくてはいけないかもしれません。歴史学について改めてじっくり勉強しようと思わせてくれたのですから。

歴史学者さんの「民俗学と歴史学を混同している」という批判に対して、私はイタリアの歴史家カルロ・ギンズブルグの『チーズとうじ虫』(1976)を反証として挙げました。そんなことはしなくても、例えば「民俗学と歴史学の相互越境を目指す」フランスのアラン・コルバンと日本の網野善彦への対話集『民俗学と歴史学』のリンクでも貼れば良かったのです。

どうしてそんなことを言うかというと、私は恥ずかしながら今まで、『チーズとうじ虫』を精読したことはないからであります。ちょっと卑怯ですよね。というわけで今回から、同著を精読し、解説していきたいと思います。

今回は同著の「はじめに」を解説します。

私(光山)が子供のころ、「大坂城を造ったのは誰でしょう?」という引っかけ問題がクラスメートの間で流行っていました。「豊臣秀吉でしょ」と答えると、「ブブ―。正解は大工さん」というたわいもないクイズです。ところが、ヨーロッパでは「ギリシャのテーベ市を建設したのは誰でしょう?」という同様の問いがあるといいます。正解は為政者(支配階級)でもあるし、名もなき石工(従属階級)でもあるわけです。ところが支配階級の歴史資料は残っていますが、従属階級には歴史資料がほとんど残っていない(1)。そこでギンズブルグは異端者として火炙りの刑に処されたドメニコ・スカンデッラ(通称メノッキオ)という16世紀の粉ひき屋の裁判記録等から、従属階級の文化を復元しようと試みました。それが同著です(2)。

ところで、支配階級の文化と従属階級の文化はそれぞれ自立していたのでしょうか、それとも一方的に従属していたのでしょうか、それとも循環(交流)していたのでしょうか。

ここでギンズブルグはアナール学派の大家らを滅多切りにします。ロベール・マンドルーの『十七世紀・十八世紀における民衆文化について、トロワの「青本叢書」』(1964)に対しては「民衆階級によって生み出された文化」を「民衆階級に押し付けられた文化」と同一視することは「まっとうなやり方とはいえない」と批判。ジュヌヴィエーム・ボレムに対しては「民衆の創造性(自立性)」という仮説にたどり着いているが、口承文化は痕跡を残していないという限界があることを指摘しています(3)。エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリの『ロマンの謝肉祭』に対しては(支配階級による)客観的でない記録をも従属階級の文化(民衆文化)の復元に活用しようとするアプローチを評価するものの、結果的には民衆文化を対象から外していると指摘しています。あの構造主義者ミッシェル・フーコーに対しては民衆を「絶対的外在性」に帰している(つまり無視している?)と批判しています(5)。

一方、ギンズブルグは、バフチンにより定型化された仮説「従属階級の文化と支配的階級とのあいだでの相互的影響」を強く支持します。そしてこの著『チーズとうじ虫』はこの問題を生き生きと提起しているとしています。確かにこの著の主人公メノッキオの信仰は民衆文化を垣間見せる。しかし「宗教的ラディカリズムから近代科学的自然主義、社会革新を求めるユートピア的な希求にまでおよんでいる」。つまり民衆文化は一概に「支配階級に一方的に押し付けられた」とも「自立している」ともいえない複雑さを持っているとギンズブルグは言いたいのです(6)

ここでギンズブルグは、再びアナール学派らを批判します。フランソワ・フュレなどの数量的研究(コンピューター分析を含む)では従属階級は「沈黙してしまう」(7)。確かにメノッキオは最大公約数的人物ではありません。しかし当時の(非民衆文化の)印刷本のテキストとメノッキオによる読まれ方の「ずれ」こそが、複雑にルーツの絡み合った民衆文化を明らかにしてくれるとギンズブルグは説きます(7,8)。
三度アナール学派への批判が続きます。創設者のリュシアン・フェーブルに対しては、知識人階級だったラブレーの信仰を「十六世紀の人間の集合的心性」に収れんしようとするアプローチを批判します(8)
宗教改革と印刷革命という時代性の影響を指摘した(9)のち、ギンズブルグは人類の歴史を復元することは極めて困難だとしたうえで、だからといって解読や分析を放棄してはならないと主張し、ヴァルナー・ベンヤミンの「人類は救済されてはじめて完全なかたちで手に握ることができる」という言葉で締めます。

「はじめに」を私なりに要約すると、従属階級の文化(民衆文化)は、支配階級の文化と一緒くたでも(フェーブル)、押し付けでも(マンドルー)なく、自立していて(ボレム)、循環している(バフチン)。しかも様々なルーツを持っている。口承文化である民衆文化は記録が残っていないけれども、テキストそのものと読み方の「ずれ」によって、民衆文化が垣間見える、ということでしょうか。(第2回につづく)


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