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カルロ・ギンズブルグの『チーズとうじ虫』をちゃんと読む(第2回)

前回からイタリアの歴史家・カルロ・ギンズブルグの『チーズとうじ虫』(1976)を精読しています。
ギンズブルグは、ドミニコ・スカンデッラ(通称メノッキオ)という16世紀の名もなき粉ひき屋の裁判記録から、民衆文化を解き明かそうとしています。第2回は、メノッキオの異端的思想の源流を探ります。

ドメニコ・スカンデッラ(通称メノッキオ)は1532年、イタリアの北東部、ヴェネチア共和国本土属領のフリウリ地方モンテレアレ村で生まれた。粉ひき屋を営み、粉ひき屋の伝統的な服装である白のチョッキ、白のマント、白の帽子をいつも身に着けていた。2,3基の風車と2面の畑を借り受けて生業を営んでおり、一時期モンテレアレを含む地域の村長を務めていたころからも、経済的にも社会的にも、富裕層とは言えないものの決して貧民ではなかったようだ。初級程度の学校にも通っており、読み書きと計算ができた。わずかながらラテン語も話せた。
1583年9月28日、異端的で不信心な言葉を口にしたかどでローマ教皇庁に告発された。彼は靴屋から司祭にまでモンテレアレの住民たちに異端的な議論を吹っ掛けていたのである(1)。

約30年前から異端的な議論を好んでいたメノッキオであったが、住民たちは同意も敵意も示さず、困惑するばかりであった。ただし聖職者からは敵意を持たれた。告発者もモンテレアレの司祭からであった。1584年2月4日、メノッキオを逮捕され、7日に最初の尋問に掛けられた(2)

予審裁判でメノッキオは宇宙生成について次のように語った。

「私が信じるところでは、すべてはカオスである。土、空気、水、火が混然一体としたものである。ちょうど牛乳からチーズができるように。そしてチーズの塊からうじ虫が湧き出るように天使たちが出現したのだ。そして至上の聖なるお方は、それが神であり天使たちであることを望まれた。これらの天使たちのうちには、それ自身もこの塊から同時に想像された神も含まれている(以下略)」(3)。

メノッキオは狂人ではないと判断された。(ミッシェル・フーコー流に解釈すると)近代ならば排除され、精神病院に監禁されただろう。しかしカトリック側の対抗宗教改革の最盛期では、異端を識別し、ついで抑圧することであった(4)。

法廷において彼は、富裕層と聖職者が民衆から搾取していると告発し、イスラム教から異端まですべての宗教の等価性を主張した。また教会のあらゆる秘蹟(洗礼、堅信礼、結婚、叙品、終油、懺悔)は教会の搾取と抑圧のための道具であり、「売り物」であるとまで言ってのけた。キリストもただの人間であり、すべての人間は神の息子であるとした(6)。

メノッキオの思想の背景には、貴族と農民たちの階級闘争があった。1511年農民の叛乱が発生し、農民たちは貴族を虐殺し、城館に火を放った。ヴェネチアの寡頭勢力は地方貴族に対抗してフリウリの農民を支援し、農民を軍事的・財政的に組織化し、農民に公認された代表者を任命するよう決定した。(貴族による)議会制は排除された。
こうして農民の権利が強化されたが、ペストと都市への住民流出による人口減により農民たちは経済的に困窮していたから、貴族たちと農民たちの緊張関係は高まっていた(7)。

こうした背景から、メノッキオは「高い地位にある方々」と「貧しい人びと」の二極対立をイメージする。教会も同類である。聖職者は土地所有を通じて農民たちを搾取している、彼らは農民たちと同じ人間であるにも関わらず(8)。

メノッキオの思想は、ルター派ではなく再洗礼派と類似点を見出せるが、ミサ・聖体拝領・贖宥状を肯定している点で完全に異なる。むしろ「宗教改革よりもはるかに古くから存在していた農民ラディカリズムの自律的な潮流」に属しているのではないかとギンズブルグは仮説を立てる(9)。特別の啓示を受けたわけではないと話すメノッキオは、イタリアの各地に存在していた預言者もどきや説教師とも別物である(10,11)。
彼は書物が読めた。裕福ではないが本を借りることもできた。裁判で言及されているだけでも11冊の本がある(12,13,14)。

ところで、メノッキオはどこまで「民衆文化」を代表しているのだろうか。これらの印刷本を思索のルーツにしているメノッキオは、純粋な民衆とは異なる。もっとも印刷本とメノッキオの読み方にはズレがある。メノッキオの思想は印刷本の文化と口頭伝承文化の衝突の結果、出現したのである(15)。

第3回につづく)


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