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喜び、悲しみ、感動、切なさ

宇多田ヒカルが1999年、16歳にしてファーストアルバム『First Love』を発表した時は、とにかくたまげた。みんなたまげたから700万枚も売れたのだろう。それまでの日本にはないネイティブなR&Bの感覚と、『ミュージックステーション』のタモリ氏を唸らせた抒情感、そのどちらも兼ね備えたまったく新しいアーティストだと感じた。

AutomaticとかFirst Loveとかももちろん素晴らしいのだが、In My Roomという曲が好きだ。

フェイクネイル/カラーコンタクト/エクステンション髪に飾って
フェイクファー身にまとって/どうして本当の愛探してるの?

上手い。本当の自分を愛してほしいのに自分を着飾っているというジレンマを、かくもメロディにするりと載せて表現している。
随所に唸るような歌詞があるのだが、究極的には宇多田ヒカルの表現していることはこうだ。

喜び/悲しみ/感動/切なさ

(Interludeより)

小説でも音楽でもいいのだが、表現したい幾万の感情も、突き詰めればこうだと、さらりと言ってのけている、そんな感覚を受けた。そうだよな、喜び、悲しみ、感動、切なさのために、僕らは生き、恋をしてるのかも。

16歳でここまで洗練・成熟したアルバムを作ってしまった宇多田ヒカル。2枚目以降はとても単調な歌謡曲に回帰してしまったと、個人的には思っている。

20年経って、ロンドンに住む宇多田ヒカルに、歌番組でMCを務めていた中居正広氏が訪ね、対談したのをちょろっと観た記憶がある。宇多田ヒカルは、「あのころは柄でもないことをしていたなあ」的なことを言っていた気がする。少なくとも、「あまり覚えていない」とかわしていた。自分らしくなかったのは曲ではなく、たぶんアーティストなのにお笑いに出てはしゃいだりさせられていたタレントとしての自分だろう。

そういえば引退前の安室奈美恵も、そんなこと言っていた気がする。無理して面白いことをしゃべって、芸人にはたかれて、それでも笑みを浮かべなきゃいけない。『うたばん』や『ヘイヘイヘイ』といった歌番組の全盛期は、むしろある意味アーティスト不遇の時代ではなかったか。


僕らが少年時代『ベストテン』を観ていたころは、基本的にアイドルしか登場しなかった。オフコースとか松任谷由実とかいったアーティストは、アーティストであり、イメージを大切にしてくれていたと思う。だからこそダウンタウンやとんねるずの歌番組は革新的だったのだが、それでもアーティストの大切な部分を掘り起こしてしまった気がする。

米津玄師のイメージ戦略は極端かもしれないけれども、アーティストはアーティストであってほしいのよ。
宇多田ヒカルさんに関しては、曲が書けていなくても、本人の言う「人間らしさ」を取り戻しているのなら、それでいいのではないかと思います。お幸せに。でもまた唸る曲書いてください。

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