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ドイツ・ハイデルベルクの思い出

2014年4月1日から4日まで、ドイツ南西部のハイデルベルク市を訪れた。記憶をひも解いて旅行記としたい。

ドイツ南西部の国際都市・フランクフルトから車で1時間、古都ハイデルベルクは自然と歴史に囲まれた美しい街だ。ハイデルベルク城が丘の上から街を見下ろし、ネッカー川が悠久の時を知らせる。過度に観光地化されていない古い街並みの散策を、住民も観光客も、ドイツ最古の図書館があるハイデルベルク大学の学生も、静かに楽しんでいるように思える。


ハイデルベルク城から望む旧市街
ネッカー川
ネッカー川北岸からうっすらとハイデルベルク城が見える

ヨーロッパの古都市のひとつであるハイデルベルクの社名をそのまま冠した企業が、世界的印刷機メーカーのハイデルベルグ社である。
印刷業界に入るとき、「印刷機メーカーといえば精緻な技術が得意なドイツと日本がほとんど。自動車メーカーと一緒でしょ」と言われた記憶がある。自動車業界において日独が抜きんでているのかはわからないが、コンベンショナルな印刷機で世界的なシェアを持っているのは、日本の小森コーポレーションと三菱・リョービグループ、そしてドイツのハイデルベルグ、マンローランド、KBAの5社に絞られる。
その中でハイデルベルグ社は世界一のシェアを誇る印刷機メーカーである。1850年に鋳造メーカーとして創業、1896年にこの地に移ってから、ハイデルベルクを象徴する企業として親しまれてきた。ハイデルベルク駅前の「プリントメディアアカデミービル」にあるモダンなシリンダーの馬のオブジェは絵葉書にもなるほど有名であり、父や祖父の代からハイデルベルグ社に勤めている住民も多い。転勤するよりも地元に住み続けることを好む住民は、ハイデルベルグ社に数十年と勤め上げるのもざらだ。グローバル企業のハイデルベルグだが、地元従業員の愛社精神が大きな支えとなっている。


ハイデルベルグ社PMAビル

というわけで、印刷業界新聞記者を務めて10年、ようやく念願の印刷業界の聖地・ハイデルベルクを訪れたわけであるが、個人としては守秘義務があり、ここで多くを語ることができない。ただハイデルベルク本社/R&Dセンターで記者発表会と新製品のベータ版の開発室に特別に取材させてもらったことと、サッカー場88個分の敷地に、全長数百メートルの組み立て工場をはじめとする十数棟の施設を有するハイデルベルク市郊外のウィスロッホ工場で、従業員延べ6500人が働き、印刷機を生産、世界中に供給している様子を取材したことだけを記しておく。

ハイデルベルクを見学できたのは2日目の半日に過ぎないが、ヨーロッパの古都の美しさに感銘を受けた。イギリスのロンドン・シティの洗練された大都市の街並みとも、南仏アルルのローマ時代からの重厚な歴史を感じさせる都市とも異なる。無茶な例えかもしれないが、自然豊かな山間に、川が静かに蛇行し、川を囲むように中世の街並みが残るさまは、京都の嵐山に比せられるだろうか。自然と歴史が溶け込む街並みを、Tシャツを着た大学生の若者や観光客が散策する様こそ、時代を超えたハイデルベルクの魅力かもしれない。

料理もビールも美味しかった

最終日にはウィスロッホ工場内にあるレストランで会食する機会があった。同席したのは中国人2人、ドイツ人1人、そして私たち日本人2人だった。
給仕が「食べられないものはありますか」と聞くと、なんとドイツの方も中国の方も豚肉が食べられないという。
ソーセージの国(?)ドイツの方が豚肉を食べないというのがまず驚き。伺うとドイツ人は戦後、豊かになりすぎて肉を食べすぎているという反省と、豚肉は肌に悪いという信条によるものだそう。一方中国の方は宗教上の理由だそうだ。北京から来たというが、中国西方の少数民族の出身だとか。ドイツ人はみな豚肉好きだとか、中国人は単一民族だとかいったものはみな偏見なわけだ。
今回ドイツをはじめて訪れたのだが、お会いする方はみなホスピタリティに溢れていて、にこやかで、おせっかい好き。休憩時間やアフターファイブをゆっくりと楽しみ、悪い意味での厳格さも感じられなかった。
私のドイツ人に対する先入観は大きく崩れた。世界中のジャーナリストが集まった訪問で、それぞれの国の多様性を認め、文化的誤解を解きたいと強く感じた。

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