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誇り高き親教

親教に、誇り高きーというのも少しそぐわない氣もしますが。それでも、やっぱり誇り高き親教って感じがしています。親教であること、あるいはそうであったことを何も恥じることではないと思ったのです。

親教だったおかげ(?)で、人一倍痛みを知ったし、強くもなれた。
そして、何よりも尊い仲間が出来た。同じような経験をして、傷ついてきたからこそ分かりあえること。そこから抜け出してきたからこそ、優しくなれること。人に対して真摯に向き合おうとできること。実際に、そうして生きていること。我慢強くなれたこと。でも、我慢して生きたくないと、心から思ったこと。

そうして今がある。

なので、これは全部親教のおかげです。


胎内記憶を持つ子どもたち。親を選んできた?

私たちは、地球にやってくるはるか前に、どの親の元に生まれようかを自分自身で決めてきているってお話を聞いたことがありますか?

体内記憶を持つ子どもたちのことを研究している人はたくさんいらっしゃいます。有名なドクターもいます。私も、お子さんが胎内記憶を語っているのを聞いたことがあるという体験を語ってくださったお父さん・お母さんに何人もお会いしました。体内記憶を持つ子ども達のお話しが映画になったこともあります。

映画『うまれる』映画『かみさまとのやくそく』

もし、私たちが親を選んできているのがそうであると仮説的に考えてみると、自分で好きな親を選べるのに、あえて、大変な思いをする可能性がある親を選んできたのはどうしてですか?

子どもは親を助けるためにやってきた、という話を聞いたことがあります。
だとしたら、あえて、大変な親を選ぶというのは、自分にとって、その人を助けたいと思ったからかもしれません。

ですが、考えていた以上に大変すぎて、助けることは難しいというケースもあるでしょう。そんな場合に、自分を責めたりしないでくださいね。
もしかしたら、今は難しくても、何年も経った後に助けられる場面が出てくるのかもしれません。
あるいは、助けることもできないくらい酷いので、諦めないといけない場合もあるかもしれません(相当なDVを受けていて、命に危険が及ぶような場合など)。それは、全くあなたのせいではありません。

あなたがもし親を選んできたのだとすると、なぜその人を選んだのでしょうね。そんなことを考えていくと、親教から抜け出すことも少し進んでいくのではないでしょうか。

そして、こうした大変な体験をしてきた人ほど、その体験をシェアする機会を持ってほしいのです。体験をシェアすることがどれほど重要か、昨年一年間のお話し会をとおして本当に実感しています。あなたの体験を決して否定しない場所で、安心して話せることが、どれほどの癒しになるのか。それは、体験した人全員が共通して感じていらっしゃいます。

お話し会を今年も開催します。今期のお話し会は、6月21日の夏至の日からスタートします。途中からの参加もできます。


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