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【小説】中国・浙江省のおもいでvol.34

『白鳥の湖』

「酔い潰れた像達の先に座ってるのが李白。中国の詩人たちは、前の人の詩を引用して、即興で詩を作っていくの。ウケが悪いと、碗に注がれた酒を一気に飲みさなきゃならない。だから末席の詩が下手な像たちは皆酔い潰れているの。」

 フェイのガイドに導かれて、西渓湿地を訪れた。雨季。霞のかかった外気は、大学周辺とはその濃さも範囲も桁違いに白く染め上げられていた。

「罰ゲームのイッキ飲みの文化って、中国発祥だったんだね」

「日本人は今もやってるんでしょ?」

「恥ずかしながら」

「日本に留学しても、飲み会だけは参加したくないなぁ」

心配そうなフェイの顔が、苦しそうに腕を掲げる末席の詩人と重なり笑ってしまった。

授業を終えて食堂に行こうとすると。突然フェイが教室に入ってきて、ぼくを連れ出したのだ。観光の名地とはいえ、平日の夕方ではもうほとんど人がいない。

湿地を進んでゆくと、白鳥の群れが水辺を賑やかに彩っている。真っ白な身体に、びっくりするほど鮮やかなオレンジの嘴。

「ちょっと見ててね」

フェイは振り向いて呟くと、白鳥の群れの側へ駆けて行き、

「ググ、ガァー、ググ、ガァー」

華奢な体のどこからそんな音が出せるのだろうかと不思議になるほどに、くぐもった、鳴き声を作り出す。

「グァーァァー、ガァー」

目の前にいた白鳥が彼女の泣き声に呼応して鳴く。対岸にいた白鳥たちも何事かと、彼女のそばに寄って来る。

「中国人は鳥とも喋れるんだから。そこのところしっかり覚えて帰ってね?」

「すごい…」

「ハイハイ、餌なんか持ってないんだから。そんなに寄ってきてもダメダメ」

彼女に興味津々の彼らは、まったく離れようとせず、口々に鳴き声を発している。

「あのね。信じちゃ駄目だからね?私が鳥と話せるなんて日本人にも他の中国語人にも言ってみなさいよ。私学校中の笑いものよ」

餌を期待して彼女を見つめる白鳥と同じくらい、ぼくは、丸い目をしてたのだろうか。慌てて訂正する彼女の言葉を信じられず、湿地を出るまで、彼女は鳥と話せるのだと信じて込んでいた。

その後も彼女はことあるごとに白鳥を呼び寄せた…。呼ばれた白鳥は彼女の姿が見えなくなるまでなにかを期待して首を高く伸ばし続けている。

着々と犠牲者(犠牲鳥?)を増やしながら、最奥へと向かう。ひんやりとした空気が、進むほど重く、静かにその純度を高めていく。逆にところどころモヤが晴れ、石碑がちらちらと目に入ってくる。

石畳の道へ入ると、古い寺が佇んでいた。石畳の濃さが変わって模様になっているのをよく見ると、漢字だった。足でちょこんと触ると薄れて消える。

「中国人は何にでも文字を書いちゃうからね。そこに水漢字が書かれてたってことは、さっきまで人がいた証拠というわけ」

彼女の声量は自然と小さくなっている。白鳥の泣き声は、もうたまに遠くに消えていくだけで、あたりは静寂に包まれている。

「どこまでいくの?」 

「湿地の果て。夕陽がとても綺麗なの」

こんな視界の中、夕陽など見れるのだろうか。靴が水をちゃっちゃっと弾く音だけを残し、2人は進んでいく。

小さな案内人の導きに従って

『中国・浙江省のおもいでvol.34「白鳥の湖」』







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