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中国・浙江省のおもいでvol,24

 『コオロギの鳴き声』

 「こら!ノロノロ歩いてたら落ちちゃうでしょうが!」

 橋の上は、手摺がなく落ちてしまいそうで心もとない。ぼくと、シーに挟まれてバランスを崩しかけたフェイが悲鳴をあげる。彼女の悲鳴に他の4人がたまらず笑う。

 紹興は浙江省を下にバスで1時間ほど下った所にあり、細かい水路が伝統建築物の家々の間を血管のように張った水の都市である。アジアのベネチアといったところだろうか。街の散策には、水路にかけられた何本もの橋を渡らなければならない。雨で視界の悪い中、えっちらおっちらと神妙にわたっていたのは最初のうちで、そのうち誰からともなく、ふざけだしている。

 「着いたよ。魯迅の家。」

 目的地は第二次世界大戦前後で活躍した、中国人作家「魯迅」の生家だ。周りの観光客は年をとった方ばかりだったので、ぼくが「年より臭い」と形容されたことに納得がいった。

 アナウンスの女性が「野草」について説明を始める。別に、くっついて一言一句聞かなければならないわけではないので、僕とフェイを残して3人は散策に出ていった。

「魯迅が自身の少年時代を回送して執筆した『野草』の舞台になった裏庭がこちらです。上級役人だった魯迅の祖父が、科教で不正人事をはかったために投獄されます。中級役人だった父が祖父を助けようとしましたが、病の床に臥せり、上流階級だった魯迅の家は篭絡してゆくのです・・・・」

 続きは知っていた。魯迅は漢方医に高額の薬を吹っ掛けられ、家財をどんどん薬に変えていく。しかし、父親の病状は悪くなる一方。漢方医は挙句の果てにこんな注文をつけた「50年を生き延びたコオロギのつがいと何十年も生き続けたトウキビの球根を持って来なさい」伝説上の生き物や植物を見つけられるはずもなく、家の裏庭に生えていたトウキビと同じく庭に生息していたコオロギを持ってゆく魯迅。結局、父は、魯迅の必死の介護虚しく死んでしまう。その庭が、今目の前にあった。

 「どう?いい作品のアイデアは生まれた?」

 ガイドが行ってしまってから、しばらく裏庭にたたずんでいたぼくをフェイの優しい声が現実に連れ戻す。

 「いや。彼の作品は彼の人生そのものを作品にしたようなものだから。ぼくには人の目を引くような特殊な経験はないよ。」

 幼い魯迅が父の命を救おうと必死に駆け巡った庭。彼の悲愴な叫び声がまだ庭をいったりきたりしているようだった。平和で、彼らが味わった苦悩などとは縁もないぼくは、ただただ圧倒されるばかりだった。

 「タイチが感じたこと、思ったことを書けばいいんじゃないかな。私は・・あなたの人生も十分驚きに満ちたものに感じるの。中国の片田舎から出てきた私と日本人のあなたが話していること自体、奇跡に近いような話だもの」

 石畳の水溜りに、フェイの横顔が映った。童顔な彼女の顔は横から見ると、ハッと息をのむほど美しく光っている。二人とも、しばらく無言で立ち尽くしていた。

 コオロギのなく声が聞こえたような気がして顔をあげる。春にはいるはずもないコオロギの声は土間につるされた鈴の音だった。

 「ありがとう。フェイ。」

 顔を見合わせて笑い合う。庭に生きる「野草」たちが、ぼくらの訪問を祝福してくれているような気がした。(『中国・浙江省のおもいでvol,24』「コオロギの鳴き声」)


 

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