見出し画像

中国・浙江省のおもいでvol,12

『step』

 朝日が登りはじめるとき、ぼくらは狭い車内に揺られていた。オレンジ色に染まりだした西湖を後にタクシーはグングン進んでゆく。他の3人は疲れ切って今にも瞼を閉じてしまいそうな様子だったから、ぼくが後部座席の窓から首を突き出していたのを覚えていない。きっと、今日と同じ4人が再びこの地を踏むことはないだろうと、穏やかな眠気の中で感じていたことも。

 今のところ、そんな予想は外れていない。朝起きて家族と顔を合わせられること、変わらず友人と会えること。そんな「当たり前」は奇跡の連続なんだと、今となってはよくわかるのだが。

 なんにせよ、3日目の朝を狭くて古臭い車内で迎えた。大学の前で降ろされると、それぞれ伸びをしたり、あくびをしたりしながら、固まった身体を伸ばしていた。別れが名残り惜しいのだ。まだ話したいことがいっぱいあった。結局、「明日にでも会おうと思ったら、会えるじゃん」とフェイが言ったのをきっかけに解散することにした。

 「再见」と言って別れた。再见には、読んで字のごとく「再び出会おう」という意味がある。朝日に照らされた彼らの顔は無邪気な子供のようで、生まれたての太陽よりも若く、エネルギーに満ちていた。

 ぼくらの人生はまだ始まったばかりなのだ。

 ホテルの自室に辿り着くと、しばらく椅子にもたれていた。昨日の出来事を思い返していた。フェイと二人きりの小舟で話したこと。彼らと夢を語り合ったこと。円卓に積み上げられた空瓶。意識が溶けてゆく。それは、久しぶりに味わう幸せだった。


 ポケットに入れたスマホの振動で目を覚ます。画面に「O」と表示されている。電話に出るとOの慌てた声が響いていた。

 「今日の午後から大学で合同授業なの知ってたか⁉他の日本人学生はもう教室についてるらしい・・・・。」

 午後からだと高をくくっていたのが裏目にでた。

 「すぐに行くから、10分後にロビーで落ち合おう!」

 それから直ぐにシャワーを浴び、着替えを済ませて部屋を飛び出した。ロビーに向かうとOが電話しながら待っていた。

 「30分ほどの遅刻だが、いかない選択肢はないよな。初日に連絡先を交換した日本人学生に電話して、教授には寝坊だと伝えてもらった。」

 滞在期間が1ヶ月ほどだったため、スケジュールがびっしりと組まれていたことを昨日の乱痴気騒ぎですっかり忘れてしまっていたのだった。校門からは例によって、一番遠い校舎だったので、走らずに早歩きで向かうことにした。

 「二日酔いだよ。今頃ワンたちは爆睡こいてるんじゃないか?」

目は充血し、髪も濡れたままのOは、ドライヤーもそこそこに出てきたのだろう。ぼくも同じような出で立ちだったので人のことは言えない。

 「(度数が)薄いとは言えあれだけのんだんだ。君の飲みっぷりには皆驚いてたよ。フェイなんか助手席でよだれ垂らしてたからね。」

二人して笑った。遅刻したものの、フェイたちとの時間はかけがえのないものになったからだ。きっと西湖で朝日を拝んだ日本人は そうそういないだろう。今日の夜にでもまた彼らと西湖へ行きたかった。

 遅れて教室に入ると、教室は中国人学生でごった返していた。ちらほらと日本人学生もいるものの、日本人学生一人に対して中国人学生三人という比率だ。

 教室に入るとやけに背の高く、頭髪のうすい男の教師が「お寝坊君たち、こちらへいらっしゃい」と手招きしてきた。その教授は日本語でそう告げると、教室中によくとおる声で「私が笑ってしまうような、秀逸な言い訳を聞かせてくれ」

 教室中の視線が僕とOに降り注いだ。(『中国・浙江省のおもいでvol,12「step」)




 

貴重な時間をいただきありがとうございます。コメントが何よりの励みになります。いただいた時間に恥じぬよう、文章を綴っていきたいと思います。