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不幸せと幸せのあいだ

幸せとはなんだろうか
あるヒトは滅多にないことに対する喜びを
あるヒトは変わらずにあるものへの喜びを

それぞれ定義は異なるようだ。
それでも毎日
風呂に入れること、
不自由なく三食を食べられること、
家族がいること
恋人がいること
友人がいること
毎日変わらず朝が来ること
音楽が聞けること
ペットがいること
仕事ができること
部活ができること
学校に行けること
学べること
或いは
字が読めること
ゲームができること
潰せる暇があること
太陽の光を浴びれること
四季があること
夜でも光があること
いつでも誰かと繋がれること
四肢があること
目が見えること
耳が聞こえること
自分の足で歩けること
自分で息が吸えること
若いこと
老いてゆくこと

ここにあげたことは決して誰もが享受できる幸せじゃない

私たちは毎日の奇跡の中にあって、次第に見慣れ景色へと見方を変えてしまう

恵まれているということは、恵まれていることに気づかないことじゃないか

幸せだということは、幸せであることに気づがないことじゃないか

不幸せなのは、幸せであることを忘れてしまうことじゃないか

目の前にある景色を当たり前の景色にしてはいけない

そこにある当たり前に気付けたらなら、日常は輝きだすだろう

今がどれだけ不幸せでも、全てが不幸せなわけじゃいないんだ

あなたが今不幸せだと思っているなら、幸せに気づけるチャンスじゃないか

道に迷ったら、今立ってる場所がわからなくなったらもう一度戻ってきたらいい

「当たり前」という「道しるべ」を辿って







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