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弁護士モリト【共同親権】"DV"と"親子断絶"の不幸競争は無意味!必要なのは両方を救う制度(文字起こし)

皆さん、こんばんは。弁護士のモリトです。

今日はですね。また、共同親権制度について語っていくんですね。


相手を説得したいならSNSやメールなどはNG


前回フローレンスに関する動画を上げて、フローレンスについて、どんどん突っ込んだ動画を上げてほしいという声がありました。突っ込んだ動画もちょいちょい上げていこうと思うんですけども、この「共同親権制度のテーマ」、ちょっと外せないんですよ。

人間の囲い込みビジネス

っていうのはね、なんで、ここに勝負感を持っているかっていうと、この日本ではね、「人間の囲い込みビジネス」っていうのがね。例えば、弱者保護ビジネスとかそうなんですけれども、横行してるんですよ。この闇を照らす切り口として、この「共同親権制度のテーマ」って欠かせないんです。

その話に入る前に、いくつか前回のコメントとかで来ていた質問に答えていきたいと思います。

SNS(X)の価値

X、旧Twitterは、どのように機能させればいいですか? という質問があったんです。これね、なんか事務所に電話があって、私が確か電話で答えた気がします。

私はね、2ちゃんねる世代の人間なので、2ちゃんねるって、相手を説得するツールじゃないじゃないですか。どっちかっていうと、なんか批判するツールじゃないですか。だから、Xって相手を説得する力ってない。同じものなんですよね。2ちゃんねると。

なので、共感とか説得の場を展開する場所ではないのですが、Xにしかない機能ってあるんです。それが拡散機能ね。リポスト機能なんですよ。この拡散機能には、価値があるんです。ある批判や、ある意見が、力があるかどうかって? リポスト数だけ見ればわかるんですね。

リポストが、何で大事かっていうと、政治家はトレンドだけは見ている節があるんですよ。そのTwitterのトレンドね。なので、政治家に世論の感覚を伝えるために、トレンド入りを目指して拡散する、共感するコメント、リツイートする。それ以外の機能ってたいしたことはありません。

説得は対話でしか出来ない

私も色々反論とか批判とかされているけれども、全然説得されないんですよ。っていうのは、そもそも説得できるツールじゃないんです。それが道理だと思いますし、メールとかSNSも同じで、反論できても、説得は絶対できないんですよ。なぜなら、説得っていうのは、対話以外、出来ないんです。肉声じゃないと出来ないんです。

前回の動画のコメントに、ある弁護士と、「対話されたらいかがでしょうか?」っていう声がありましたけれども、その弁護士さんっていうのは、「単独親権制度」にこだわっている弁護士さんのことを指しているんですが、私的には、その方がね、たいわする程の影響力があるかって言ったら、そんなそこまでの価値はないんじゃないのかな? と思っていて。しかもね、その方が私になんかXで突っかかっておきながら、「あなたと議論しない」って言われているので、回れ右で、その弁護士に言って頂きたいと思うんですが、対話する程の影響力があるのかな? っていう気がしてます。Twitterのリポストの数を見ると、そう思うんですね。

人の影響力

さっき言ったように、その人の影響力って、リポストの数を見て判るんですよ。あとね、対話っていうのは、与えられた時間、発言する時間が公平でないといけないんですね。討論が弱いか、見切れる方法がありまして、相手の発言中に被せて発言する人間かどうかで、容易に見切れるんです。自分のターンを待てずに、相手の発言中に差し込む理由っていうのは、内容に勝てないから、時間で勝とうとするんですよ。

なので、その物が議論に強いかどうかは、相手の単純に、差し込んでいるかどうかで見ればいいんです。将棋で言うところの「連続差し」という反則をするかどうかを見切ればいいんです。

またね、私に対して、面白いポストがあったんです。そのポストはね。ハッシュタグ、「共同親権反対」ってなっているんだけれども、彼の主張を詳細に読むと、「共同監護」が大前提になっていて、「監護の在り方に合意できない父母は、そもそも折半監護だ」っていう方なんです。そうするとですね。私とあまり意見が変わらなくなるので、「強制的単独監護反対」とかにね、ハッシュタグを変えると、恐らく違う景色が見えて来ると思います。つまり、「真の反対勢力に出会う」と思うんです。

不幸競争

そもそも共同親権を語る場合に、これも大事なテーマなんですが、「不幸競争」をしている人が余りにも多いってことね。不幸競争っていうのは?「DV被害」という不幸とね、「親子断絶」という不幸。このどちらの不幸が壮絶顔かを競争するような、よくマスメディアの記事って、この「不幸競争」多いじゃないですか。これナンセンスなんですよ。

君より俺の方が不幸、俺より君の方が不幸みたいな議論に何の意味もなくて、どっちの不幸も救っていかないといけないでしょ。両立するんですよ。

なぜか、こっちの不幸を救うと、こっちの不幸が起きるとかね、天秤状態で議論をする人がいるんです。例えるなら、毒ガスと爆弾、どっちが人体に悪いかを、天秤にかけて重さで比較しようっていう愚か者なんです。毒ガスも爆弾も、重さに関係なく人体に危険なんです。

「連れ去り」という不幸と、「DV」という不幸を天秤にかけて、弄ぶ法曹関係者にそもそも興味がないんです。だから、政治家の中で「共同親権に反対の勢力」がいるんですっていう方、結構いるんだけど、その者は「不幸競争」という天秤に掛けようとしている頭の悪さのか、あるいはその天秤を使って「利権」を守りたいのか見抜くようにしているんです。

例えば、X上で、私に食ってかかってきた弁護士がいるんですが、その弁護士は恐らく、私以上に悲惨な「DV事案を目撃しているかもしれませんよね。その場合、私は、その弁護士が経験したDV事案という不幸な出来事を「捨象」して議論してはならないんですよ。

逆に、私は壮絶かつ、不条理な親子断絶を目撃してきた。その場合、私に食って掛かって来た弁護士は、私が見た「不条理な親子断絶」という不幸な出来事を「捨象」して議論してはならないんです。

例えば、協力関係があれば、そんな「親子断絶」は起きないんですとかいう、私が見たものをかつて皆さん知ってるか分からないですけれども、「東大全共闘」と「三島由紀夫」が東大で議論した有名な動画がありますよ。まず、その三島由紀夫と東大生の学生の議論を、この間、YouTube動画なんかで見たんですけれども、ちょっと話変わりますが、あれは、私的には、人間の生命力の源泉がバリケード内という空間に求めているのか。或いは、人間の生命力の源泉は、天皇に求めているかという議論に私には見えたんです。しかし、どちらも人間に「永続する生命力を与えなかった」という結末なんです。

次元は違いますが、某憲法学者が、お得意の「親権とはなんぞや?」とかね。頭で考えるから、アカデミックな狭い空間から抜け出せないで、一向に人間の生命力に響かないんです。そういう議論と同じなんです。なので、見たもの、経験したものを捨象して、「それは違うんだ」「それは夫が悪いんだ」「母親が悪いんだ」とかね、そんな風にして「親子断絶」を、それは起きてないんだって言ってもダメなんです。私は、目撃してるんでね。あなたが「DV被害」を目撃したように、私も「DV被害」の事件を受任しておりますが、きっとその弁護士さんは、より強烈な「DV被害」を見たと思うんです。それを否定して、私が議論してもしょうがないんですよ。「親子断絶」を否定してもしょうがないんです。現状の面会交流で、やれるとか言っても無駄なんです。私が経験してるんでね。だから「経験を捨象したら議論にならない」ので、その弁護士さんが聞く耳を持つんだったら対話するけれども、って感じですね。

婚姻中の共同親権に着目すべき

合意ってなんだ?

そもそも、「DV」って父母の合意によって起きてないですよね。同じように、「親子断絶」もまた、父母の合意によって生まれていないんです。

合意がない場合にどう備えるかが民法の基本であって、「私的自治」での解決に委ねると、不意打ち的に騙したり、或いは暴力を振るう者が出てくる為に「法が必要」になるわけです。

DV等防止法が不要になる

「暴力による占有」、或いは不意打ちによる「子供の専有」に歯止めが利かない。さらに、「離婚後の協力的な父母」の存在が多数派だと、離婚後もね、そういうレッテル貼りをして、「共同親権制度」に反対する方いるんだけど、その理屈で行くと、「離婚後も協力的な父母」の存在を前面に出すと、「DV防止法」が不要になるっていう事になっちゃうんです。

つまり、「離婚も協力的な父母」というのは、そもそも「DV」しませんので。そもそも「離婚後も協力的な父母」だけ想定しておれば良いという民法の立付で行くと、「DV防止法」が不要になってしまいますよ、と。「論理的一貫性を欠く」わけです。

密な親子交流によって共同親権制度が成り立つ

そもそも、「離婚後も子どもに関する決定」を巡って、協力的に父母がなるかどうかっていうのは、父母それぞれが別々に、子どもとの「密な親子交流」ができている場合、子どものニーズ、或いは状態を、父母が同時に知ることになりますよね。そうすると、ニーズに異論がなければ、父母は子どもの決定に関して協力的になる。初めて「協力的な父母が存在する」という事なんです。つまり、「密な親子交流」なしに、「共同親権制度」って成立しないんだよって、私が言ってるのは、そういうわけです。卵が先か? 鶏が先か? みたいな議論ですけれどね。

男女平等の観点

次にですね。男女平等という観点から、「共同親権制度」を反対する勢力がいますが、それも論理的に矛盾が生じています。

「不合理に親子断絶」を続ける場合、私がいう「親子断絶」っていうのは、「月1回程度に集約された面会交流に、我慢させられている父母も含みます」、はっきり、この点は申し上げておきます。このような「親子断絶」を助長しているとどうなるかというと、私がそれをそれこそ見てきた、経験した出来事なんですが、「親子断絶」された別居親にも親がいますよね? お母さんがいるわけですよ。そのお母さんを、前回動画のコメントにもあったように、「我が子を泣きながら励ます母親」が背後にいるわけです。子どもにとっては、おばあちゃんにあたる存在です。別居親の母親が、泣きながら子どもを励ましているという世界があるわけです。それを弁護士モリトは目撃しているわけです。

上っ面の男女平等を叫びながら、多くの母を泣かせている背景に、一向に気づかない論客がいるわけです。だから、頭が悪いと率直に申し上げている訳です。

昔は倫理観で防げた事を持って紛争させる

「DV」という不幸ね。「親子断絶」という不幸も、天秤競争には意味がない、っていう事は先ほど申し上げました。というのは、私が同居親サイドの弁護士で、もし悪い弁護士だったら、「親子断絶」簡単に出来るんですよ。今の法制下だと。

「DV事案」じゃなくても、簡単に出来るんですよ、本当に。

やろうと思えば出来る事を、昔は倫理観で抑えて来たが、この分野で倫理が機能しないところまで来ているんです、現代では。だから、法によって「親子断絶」を阻止しなければならなくなる。「DV被害者」の法で、保護しなければならなくなったように、不合理な「親子断絶」を法で保護しなければならなくなったんです。

それが「共同親権」というタイトルでなくても良かったのかもしれないが、恐らく、最初に紹介したポストをした方のように、父母の合意がない場合は、「もう折半監護だ」っていう、「共同親権」なんて語らなくても、そもそもいいんだっていう主張は、残念ながら共同親権制度賛成派、反対派双方から支持を得ないから、多分リポストも少ないと思う。

それは、その人のせいじゃなくて、現代において、「親権の生命線」「家族の生命線」は、「親子交流」「人間交流」である事が大前提である事を、いちいち説明しなければいけない現代になってしまったからだと思っております。

共同親権者だがあえないのが事実

前にもお話ししましたが、私に相談される方は、ほぼ全員もれなく「共同親権者」です。「共同親権を持っている方」が子供に会えなくて、困って私に電話が来るわけです。

日本において、少なくとも民事の分野では、問題の本質は、「親権」が何の意味も成していない事にあったわけです。「親権」に「密な親子交流」という命を吹き込まなきゃいけなくなった、と。昔は要らなかった、のが。

だから、そもそも婚姻中の共同親権に「密な親子交流」の命を吹き込まないで、離婚後の、「共同親権議論だけ」しているバカがいるけれども、裏を返せば、「婚姻中の共同親権」に意味を与えないで、「離婚後の共同親権」だけ語っている人間は、頭が悪いとしか言いようがない。

離婚しようが、してまいが、「連れ去り」に民事上のペナルティを課して、かつ父母は、我が子とを「密な親子交流」が出来るのだ、という事を打ち出す必要があるわけです。

これ言うと、「民間思案はいつ出来るんだよモリト」みたいな感じで粘着する人がいるんだけど、このような中身であれば、法務省案でもよろしい、と。このような中身を伴わなければ、「あなたも反論するでしょ? だから一緒に廃案にしようぜ」以上、終わり、になるわけです。

この者は、法案の名前に執拗にこだわっているだけで、名前をいう名聞冥利はあなたに差し上げると私は言いたいわけです。しかしながら、「親権の中身」に「親子交流」を含めない改正であれば、改悪である事は否めないでしょう。なので、「一緒にあなたと廃案にしたい」と思います。以上、終わり、って事になるわけです。

SNSとマスコミの棲み分け

人間を囲い込み、専有する

先程、私はね。騙し討ちによる「人間の専有」「暴力による人間の専有」、というお話を出しましたが、実は「団体による個人の人間の専有」が、この日本では横行しているわけです。これが、弱者ビジネスと言います。人間の囲い込みの闇です。

囲い込みの対象は、子供だけではありません。この日本では老人、場合によっては若い女性、男性も関係なく含まれます。

例えば、生活保護を受給させて、団体の構成員として働かせて、生活保護をこっそり団体が管理し、お小遣いの範囲だけ個人に渡すというやり口もある。一部の団体は、例えばフローレンスのように、大きな公金を得ている団体は、億単位で、一年毎に宣伝料、マスコミにぶち込む事が出来るので、マスコミにとっては、良いお客さんという事で、絶対この団体の問題点を取り上げる事はありません。お客さんをディスることはしませんので、それが道理なんですよ。

この事を、私を含め40代以下は、気がついているので、テレビ離れが起きているんです。テレビを見ない時代が到来したんです。

SNSが勝る時代ですよ

逆に言うと、どんな団体でも批判が出来てしまうのがSNSとか、こういう個人で表現できる時代の優位性なんです。これが実はYouTubeとかSNSの優位性なんです。

マスコミが、例えばフローレスの問題を取り上げたら、この優位性が減ってしまうんです。なので、引き続きマスコミはこの態度を続けてもらいたい、と。SNS等で、個人による発信媒体の優位性、どんどんこれから大きくなっていって、マスコミが下がっていきます。

マスコミはね、私の予想だと、30年後とかスポーツ番組だけに特化していきます。要は、お金が掛かる番組だけマスコミで、時代を切るのはSNSっていう時代になって行くと私は思っています。


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