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斜陽(しゃよう)

おひさしぶりです、親子丼です!
だいぶ時間が経ってしまったので、原点に帰って家族のこと書きます。

私の実家はイオンショッピングセンターに入っている自営の時計屋だ。従業員は父、母、私の3名。腕時計、掛時計、置時計の販売と、腕時計の修理をする。最近はAppleさんの活躍により、若い世代の腕時計はApple Watch、目覚まし時計はスマートフォンが多くなり、若いお客様が減った。
数年前までは、バレンタインやクリスマスで、ペアウォッチを買ってくれるカップルもいたけど…。
今や、平日のお客様のほとんどがシニア層で、休日はファミリー層がたまに来るくらいだ。
以前に比べ客足は減ったが、来てくれるお客様はあらかじめネットでうちを調べてきてくれることが増えた。「最近、時計屋さんないのよね。やってくれるところがあって助かった」という声を聞くことも増え、とてもありがたい気持ちになる。

こういう星の下に生まれたせいか、私が好きになるものは時に、人気が衰退していくものや、流行りに乗っていないこともある。

中高で続けた文芸部は卒業から1年で廃部になったり、生徒会を始めては「何でやってるの?形だけじゃん」みたいな声を貰ったりする。
大学は新聞学科で、私や同学科の人は熱意があったけど、他学科生からは、「変わった学科だね」とも言われたし、「出版社に興味がある」と言えば、「斜陽産業だね」と言われた。

でも私は、そんな風に言う周りをうらめしく思ったことは、一度もない。みんな興味津々に聞いてくれて、むしろ嬉しいくらいだ。みんな私のこと不思議がるけど、私からしたらいいなと思ったものを良いと思っているだけなので、その理由を聞いてくるみんなのことが不思議だった。

斜陽。それは、沈みゆく夕陽という意味であり、威力が衰退に向かうことにも使われる。
夕陽は時間が経てば必ず沈みゆくものだ。
夕陽が沈み、夜が来て、翌日の朝陽を心待ちにする人たちが世の中にはたくさんいる。
沈みゆく夕陽よりも、日照時間が長い朝陽を心待ちにすることは、これからの人生が長いと予想される若者の思考として、当然のことであるように思う。

でも、いくら斜陽とはいえ、その太陽はまだ光っている。沈んだわけじゃない。
時代遅れだとか、流行りはそこじゃないとか言われながらも、たしかにまだ光っているし、その光を美しいと感じる人もいる。

夕陽も朝陽も、太陽であることは変わりないのだから、どちらにも価値はあるものだと私は思う。だから、Appleさんを「お前のせいで客足が減ったんだ!」と非難したいとはみじんも思わないし、自分が良いと思っているものが理解されなくても全然苦しくはない。
私は夕陽の光が美しい。と思っているだけで、朝陽よりそれが劣っているとか、朝陽のせいでその価値が朽ちていくこともないと思っているからだ。

最近、『舟を編む』のアニメ版を観始めた。
利益をまともに増産せず、10年以上かけてじっくりと辞書作りをするため、社内では「金食い虫」と揶揄(やゆ・皮肉めいた批判でバカにしたり、あざ笑ったりする)されている辞書編集部の話だ。
彼らは、社内から時に疎まれながらも、言葉の価値を信じて細かな作業もいとわず、十数年後にしか得られない成果に向けて頑張っている。

利益を生み出しやすい朝陽(流行りものの雑誌やキャラクター辞典など)だけでなく、夕陽(古くからの紙辞書)の貴重性も重んじ、なにより朝陽にも夕陽にも共通する太陽(言葉)の価値を大切にしている。

どんなに建て壊されても、また新たにつくられるものがある。時代が変わっても、姿を変えて残りゆくものがある。
言葉、建物、人々。 
目の前のものや、その場その場で言われるあらゆる言葉や承認欲求に惑わされないで、そういう大切な物を見つめ続ける生き方をしたい。

気づいたら全然家族の話じゃなくて、すみません〜!



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