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はじめまして、古谷真知子です。

自己紹介

はじめまして、古谷真知子と申します。

2012年から「食育教室おやこキッチン」という0歳からの子供とその保護者向けに食育と料理の教室を主宰しています。

「親子料理教室」ではなく「食育教室」なのには理由があって、築地/豊洲市場見学やバケツ稲栽培、みそ仕込み体験、食育講座など、料理教室の範疇に収まらない食に関わる幅広い活動をしているからです。

教室は、0歳からは離乳食と幼児食の進め方についてのレッスン、子供が調理する親子レッスンは2歳から参加可能です。
子連れで通える料理教室が無いため、育休中に赤ちゃん連れで料理を習いに来られる方も多いです。大人の方向けに、お魚さばき教室や、ハム・ベーコン作りレッスンやワークショップなども開催しております。また、定年退職された男性が、奥様の料理の負担を減らしたいのとお孫さんと料理をしたくて通って下さっていた事もあります。このように、子供と関わる幅広い層の生徒様に支えられて教室を続けております。

食育教室おやこキッチンHP
http://oyakokitchen.com
ブログ(レッスンの様子やスケジュール)
http://oyako-kitchen.hatenablog.com/
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元々は流通業向けに在庫や商品管理をするシステムを受託開発する中堅ソフトウェアハウスでSEとして働いていました。
システムコンサルタントになりたかったのです。

それが、どう言うわけか今は食に関する仕事をしているので、人生は何が起こるか分かりませんね。(この辺りの顛末は後で詳しく書こうと思っていますので、少々お待ち下さい。ご興味がございましたら是非ご覧下さいませ。)

教室のブログに食育コラムを書いていたら、ある育児メディアからお声かけ頂き、しばらくの間、そちらに食関連のコラムを書かせて頂きました。

コネなし、実績なしの零細教室なのに、どこから調べたのか、フリーペーパーや機関紙の発行元からご依頼を頂き、何度か取材を受けることもありました。そして、2019年3月には友人からの紹介により地上波デビューも果たすこととなりました。ありがたいことです。

専門は、子供に料理と食べることの大切さを教えること(食育)と、毎日無理なく作れるシンプルな家庭料理と行事食です。家庭料理は野菜と魚料理を中心とした献立にしており、生徒様からご好評を頂いております。

趣味は包丁砥ぎと鍋磨きと食べ歩きです。

講演、執筆、イベント出展などお仕事のご依頼は、下記メール、各種SNSのDMなど、直接ご相談下さいませ。
oyako.kitchen@gmail.com

料理のルーツ

私が料理を始めたきっかけは、保育園の年長の時に一生懸命皮をむいたリンゴを近所のおじさんに出したら「こんなに厚くむいたらダメだ」とダメ出しされたことがきっかけでした。
この時、悔しくて悔しくて、絶対上手くむけるようになってやる!と思って練習したことが、全ての始まりだった気がします。

その後、従姉妹とホットケーキミックスを使ってオリジナルお菓子作りをしたり、時々今川焼を焼いたり、お菓子を作ることが増えました。母がよくおやつに蒸しパンやフライパンサイズの巨大なホットケーキを焼いてくれたりしていた影響だと思います。

自炊のきっかけを作ってくれたのも、やはり母でした。

中学生くらいの頃、ある日母から夕飯のおかずを作っておくように頼まれました。最初はただの卵焼きでした。他には母が作ってくれていた常備菜の煮物や漬物などがあったので、主菜を一品作れば良いだけでした。それがだんだんと品数が増えて行き、卵焼きとみそ汁、餃子とスープ、カレーとサラダ、のように少しずつレパートリーが増えて行きました。この時は、献立なんて考えていませんでした。母から指示されたメニューか、指定の食材を使って作れば何でも良かったからです。

毎日の夕飯作りは、大学入学と同時に実家を離れるまで続きました。夕飯の担当だったため、一人暮らしをしても食べることには全く困りませんでした。この頃の母は「真知子は食いしん坊だから、食事に関しては何も心配していない。変な宗教に騙されたりしないかだけが心配」と言っていました。

魚好きのルーツ

私の魚好きは、幼い頃から実家にトラックで訪問販売に来てくれた魚屋さんの影響が大きいです。
実家は成田空港にほど近い山間の小さな町にあるのですが、毎週木曜日にこの魚屋さんが来てくれたおかげで銚子港で仕入れた新鮮で美味しい魚が食べられたのです。この魚屋さんがなかなかの目利きで、母は高いためなかなか好きな魚を買ってくれなかったのですが、祖父がいると私が食べたい魚を何でも買ってくれたので、木曜日は祖父に出かけないで欲しいと思っていたものです。

トラックの荷台には、昔ながらの木の魚箱にマグロのサクやカレイなど色々なお魚が入っていて、魚屋さんが来ると全ての箱を見ては何の魚か聞いていました。ピカピカ光る新鮮な魚を見るのは、当時の幼い私にはまるで水族館に行ったかのようなワクワクがあったのです。今でも水族館が大好きで、旅先に水族館があると必ず訪れます。ハワイでも水族館に行って義父に呆れられたほどです。

生まれて初めてさばいた魚は、鮭でした。

当時はまだお歳暮に新巻鮭を贈るのが一般的だったので、実家に届いた新巻鮭を母が切り身にしておいて、と私に頼んだのでした。
今にして思えばひどい無茶振りです。
アジすらさばいたことがない私にいきなり新巻鮭をさばけとは、何を考えていたのでしょうか。頼むだけ頼んで仕事に出かけてしまったので、母にさばき方を教わることも出来ず、1人で本を見て四苦八苦しながらどうにか切り身にした記憶があります。なんとかさばいたものの、身はボロボロで骨の周りには2cmほども身が残り、ひどい有様でした。せっかくの新巻鮭を台無しにしてしまったのに、母は文句も言わず「ありがとう、お陰ですぐに焼いて食べられるよ」と言ってくれたのでした。

野菜好きのルーツ

ありがちですが、私は農家の娘です。
家には(畑にも)常にたくさんの野菜がありました。たくさんの「種類」ではなく、たくさんの「量」の野菜です。いくら農家でも、そんなに多くの種類を育てるのは大変なので、同時期に収穫出来る野菜はせいぜい1〜2種類で、他の野菜を栽培しているご近所さんや親戚と物々交換して家で食べる種類を増やしていました。

ただ、実家にいた当時は毎日毎日同じような煮物ばかりで、正直「野菜が好き」という感覚はありませんでしたし、畑の手伝いをしなければならなかったため、少し憎んでいたと言っても過言ではありませんでした。
結婚した時に母に言われた「あなたは野菜で育って来たんだから、贅沢しないでしっかり野菜を食べなさいよ」という言葉が今も忘れられません。大人になってようやく分かることってたくさんあるんですね。

自家製、手作りのルーツ

手作りや自家製が好きなのも、きっと母の影響だと最近やっとわかりました。
田舎の農家なので、みそを仕込むのなどは当たり前、こんにゃく芋からこんにゃくを作っていたこともありましたし、お節料理もかなりの品数を手作りしていました。また、親戚からシーズン終わりに山ほど届く売り物にならない小粒のいちごで作ったシロップは、私達の夏のご馳走でした。
割と何でも作ってくれていたのは、そんなに裕福で無いためお金より手間をかけることを選んできたからだと思っていたのですが、私が幼い頃かなり湿疹がひどかったらしく(記憶にない)それで少しは食べ物に気をつけてくれていたのかもしれないな、と私も親になって気付いた次第です。その後、物心ついたあたりからは再びアトピーとアレルギー性鼻炎に悩まされるのですが、これはヘビースモーカーだった父の喫煙が原因だと睨んでいます。(現在は禁煙しています)

そして、色んなものを作ってみると、どうしてそうなっているのか仕組みが分かるんですね。その仕組みを知っておきたいから作る、と言う面もかなりあります。単純に好奇心が呼ぶからです。
それと、作った方が美味しくてコスト(時間、お金、手間) がかからないかどうかを知りたいからです。作った方が安くて美味しいなら、作り方を知りたい人がたくさんいると思うのですよ。そのためにやっているんですね。やはり半分は仕事のためです。
実際に作ってみて、買った方がいい、と判断して作らなくなるものもたくさんありますし、仕組みが分かっていれば初めから勝負しない(作らない)ものもあります。

父について

食べ物に関する記憶には、母が頻繁に登場して色濃く影響を受けてきたのがかなりわかりやすかったと思います。

父は、本をよく読む当時にしては多趣味な人でした。
私の記事に時々出て来る山岡さんは、もちろん漫画『美味しんぼ』の山岡士郎の事で、これは父の蔵書でした。農業に関する専門書や政治経済哲学などの実用書が多かったのですが、なぜか漫画も読んでいたようです。娘達にも本は買ってくれた方だと思います。日本昔ばなし全集や百科事典セットが家にあったので、きっと本好きになって欲しかったのだろうと思います。この辺りは祖父の影響もありそうです。

父は音楽や歌も好きで、近所の同級生と「スパイラルエコーズ」のバンド名でオールディーズバンドを組んでおり、ドラムを担当していました。町の文化祭で演奏したこともありました。保育園の頃、父のバンドの練習について行くのがとても楽しかった記憶があり、たまたま同じ学年の子供がいたメンバーがいて、私がその子を泣かせてしまったらしく、小学校で再開した時にそれを言われてとても驚きました。私はその子を泣かせたことなど全く覚えていませんでした。
その影響か、私も小学4年生から金管バンドに参加しトランペットを、中学、高校では吹奏楽部、大学ではモダンジャズ研究部に所属してアルトサックスを吹いていました。
洋楽を聴き始めたのも、父の持っていたレコードを勝手に聴き始めてからで、ビートルズやローリングストーンズなどとクラッシックを中心に聴いていました。ビートルズの影響で英語に興味を持ったので、音楽の力は偉大だなと思います。
父の歌う「およげたいやきくん」が子門真人にそっくりで、歌ってもらうのを楽しみにしていました。

父はバイクにも乗っていました。
HONDAのCB650customや750ccのアメリカン(車種は失念しました)に乗っていました。
その影響からか、姉も私もモータースポーツが好きで大型自動二輪免許も取得し、たまたま1,000ccの大型バイクを手に入れて、時々ツーリングに出かけたりしていました。

父は長男なのにかなり自由人で、祖父母に「ちょっと出かけてくる」と言い残してフラッと出かけて1ヶ月近く帰って来なかったので、心配した祖父母が捜索願いを出そうとしたらフラッと帰って来て、聞くとシベリア鉄道で旧ソ連を横断してヨーロッパで働きながら飛行機代を稼いで帰って来たらしい、と友達のお母さん(父と幼馴染)から聞いたエピソードは忘れられません。

こう見ると、やはり両親からの影響は大きいですね。

そんな感じで、今後とも諸々よろしくお願い致します!

noteには、今まで教室のブログに書いていた食関連のコラムと、遠方で教室に通えない方向けに子供に料理を教える方法(有料記事にする予定です)、その他雑多な事を風の向くまま気の向くままに書き散らかしておくつもりです。これは、私が生きた証を残しておきたいと言う気持ちもあってやっています。2人の子供たちに、私が何を考え、何をしてきたのか、残しておきたいなと思ったのです。今も、これからも、悔いのない人生を生きるために。

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