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一番悪いのは、職場?「おいしいごはんが食べられますように」

夏休みの宿題を8月後半にひいひい言いながらやっていたタイプなので、この時期ばかりは大人になって良かったかもしれないなあ、と思う。

数学のドリル系が本当に本当に終わらなかったので、未だに理系の人とか、7月中に夏休みの宿題終わらせてました、みたいなことを言う人に会うと「嘘だろ!?」と思うし、尊敬が止まらないが、そんな私も頼まれなくても夏休みのたびに上限まで本を借りて、読書感想文だけは苦労せずに書いていた。(小3の夏休みは一夏でハリーポッターの既巻を全て読み、引き替えに視力を失った。)

 楽しんで取り組んでいたはずなのに、振り返ってみると何の本の感想を書いていたかほとんど思い出せない。そういえば読書感想文を最後に書いた恐らく中学3年生はもう10年も前になる事に思い至った。そりゃ覚えてないわ。そんな折に読んだ「おいしいごはんが食べられますように」がなかなかにもやつきを残していった本だったので、夏の終わりに乗じて感想文を書いてみようと思う。

▽以下ネタバレあり▽

この本の帯には「最高に不穏な傑作職場小説!」との文句がある。不穏ってなんだ、穏やかじゃないってことか???職場小説って何だ???と思って読み始めたが、ええ、これ、本当に"不穏"な"職場"小説ですね。

タイトルも「おいしいごはんが食べられますように」だし、至る所で食にまつわる姿勢の違いみたいなものが描かれている。でも決してこれは食がテーマの作品ではない。あくまで食は、彼らのいびつさを浮き彫りにするための装置に過ぎなくて、本題としては「組織の中の人間のバランス」にあるように思えたし、ある種のいびつさを孕みながら表面上は何事もないように続いていく気味の悪さのようなものがよく描かれていたと思う。

この作品の主な登場人物、二谷、芦川さん、押尾さん。恐らく押尾さんに感情移入して作品を読んだ人が多いのではないだろうか。少なくとも芦川さんに対して、何のもやつきも感じずにこの作品を読み切った人がいるのだろうか。好きだからやりたいわけじゃない。やるなら、ちゃんとやりたい。好きじゃないしやりたくないけど、できてしまうからやる。社会人の多くが、仕事に対してそんなスタンスなんじゃないだろうか。働きアリの理論ではないが、大多数がそのようにして、「誰かがやらないと終わらない仕事」に取り組み組織を構築する一方で、できない、を主張する人がいて。そこに文句を言える時代でもなくて。
そして濃淡こそ違えど、みな押尾さんと芦川さんの両方を持ち合わせているのだと思う。かくいう私も仕事に人生奪われるのはたまったもんじゃないと思っている人間だ。そう思うと多少は仕方ないかな、と思える部分もあるのだけど、ただし芦川、テメーはダメだ。タルト作ってる暇があるなら仕事してくれ。課長抱きしめられるなら研修にはせめて出てくれ。でも真正面からそうも言えないし。なんだかもうこの話に芦川さんのこと嫌わされてるだけで職場にいなきゃ仲良くなれてたりもするのかもしれない。苦手な女センサーはおおいに作動するが、仕事という余裕がなくなるシチュエーションじゃなければ許せることもあるし、責任感とか細かすぎるかとか、友達として接する分には出てこない側面が仕事ではよく見えてしまうことは多い。自分にも芦川さん要素が全くないとも言い切れないし、自分もめちゃくちゃ意識高い感じの人から見たらもやつく対象にもなりかねないのだなと同時に考えた。そんなにカリカリされてもなあ、と思って見て、いやでもこれ芦川さんが思ってたらめちゃくちゃムカつくな、とぐるぐるしてしまったので、直接仕事でがっつり絡む人と仲良くなろうと思うのはある程度諦めた方が楽なんだと思う。(自分が芦川さんになる場合も、押尾さんになる場合も)もちろん仕事を通して仲良くなれるパターンもあるのだろうけど、基本的にうまくやれなくてもそういうもんだ、くらいでいいのだ。
 それでもやっぱり芦川さんは相当したたかだ。この作品は、芦川さん視点で語られることがない。この仕掛けが作品の奥行きというか、モヤモヤ感を高めている。つらい、という人のつらさをどれだけ推し測っても本人と同じように感じることはない。芦川さんの地獄ってどういうものだろう、と考えてしまった。大きい声で詰められるストレスはとてもよくわかるし、休みのお詫びに毎回ケーキ作ってくる方も作ってくる方だと思うけど、潰されてぐちゃぐちゃになっているの(しかも複数名に)を自分が目の当たりにしたらまあショックだと思う。(でもなんだかそれはいいんかい、みたいな案件多すぎて嫌うように作者に仕向けられてる感じすごいんだよなあ…)
けれど彼女がつらい、主張すればするほど、できない、を言えばいうほどそれを肩代わりする人間がでてきてしまうのが職場なのだ。だいたいの場合、押尾さんみたく、責任感を持ってやってしまうのだ。そうじゃない自分に対してもやつきを感じてしまうのはつらいから。けれど芦川さんを嫌いだと思えば思うほど自分の中の芦川さんを殺さないといけない。ここまではやる、の線引きとそこからは気にしない切り替えが長く働くコツなのかなあと思う。
 そしてこの物語最大の戦犯は二谷です。読んでてこいつなんやねん、ってめちゃくちゃ思いました。なのにモテるの、何がいいのかさっぱりだったので脳内でクズだけどモテてた大学時代の先輩で再生したらめちゃくちゃリアリティありました。こういう風景世の中めちゃめちゃあるんだろうな!コイツが芦川さん甘やかすから世の不平等感強くてダメ。押尾さんマジで不憫。押尾さんだってチアやっててかわいいんだしそっちにしとけよって思うけど、女が嫌いな女は男にめちゃくちゃウケるみたいな世の常、何なんでしょうね?男にウケるから女に嫌われる、というかは〝そういう‘’女ほどウケるっていうアレ…芦川さんはあざとさとも違うエグみが持ち味なんだけど。実写化するなら土屋太鳳か吉岡里帆かな…絶対自分でわかってるでしょって思わせながら確信を与えないしたたかさ、お前が最強だよ。
そして二谷みたいな男、多いんだろうなあって改めてしみじみしてしまった。人として好きじゃなくてもメスとしてかわいければそれでいいっていうの、これも少なからずどの男性にもある本音なんだろうなあと。まあカップ麺毎日食べるくらいなら別れちまえよ!とは思うけど。

というわけで表面上はうまく働いている、現代社会や人間関係のいびつさ、そして誰の心の中にもあるいやらしさに焦点があてられた小説でした。朝井リョウばりにもやつくし人の中の嫌なところ目の当たりにした感じがあるから読んでよかった〜!とはならないから人には勧めないけれど、なんかこういうの読み始めるととまらないんだよねえ…

結構同じ作品にも違う感想があるなあというのが最近何をみても思うことなので、この話のモヤつきポイント色んな人にきいてみたいなって思います。


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