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令和人に必要なギャルの精神

ギャルが好きだ。そう意識するようになったのはここ数年のことだが、どこが好きなのか考えているうちに、ギャルとはその精神を指すということ、そしてその精神こそ令和を生き抜く我々にとって必要なものなのではないかという考えに至ったのでnoteを書いてみることにしました。(※あくまで個人の意見です)

そもそも「ギャル」とは

おそらく「ギャル」という単語で思い浮かべるのは、若くて、化粧やファッションが奇抜で派手な、言葉遣いがちょっと軽めの女性だという人がほとんどではないかと思う。そのほかにも世間一般のイメージとして知れ渡っているのは「情に厚い」「仲間思い」「知的ではない」「ポジティブ」とかそんなところだろうか。

改めてネットで調べてみると

女の子。若い女性。特に、明るく社交的で、流行のファッションを取り入れるなどの行動を通じ、感覚を共有しようとする女性についていう。

コトバンク

「英語において若い女性を指す girlの、アメリカ英語における俗語 galに由来する外来語。とりわけファッションやライフスタイルが突飛と見なされながらも、それらが同世代にある程度文化として共有されている若い女性たちを指す場合にも用いる。」

Wikipedia

おそらく昭和~平成初期の社会現象化したファッションに身を包む女性が「ギャル」とされたが、最近ではどちらかというとギャルファッションのブームは下火だ。(何を持ってギャルファッションとするかの議論はここでは省く)しかし令和においてもギャルの精神は不滅である。

そして私が思うにギャルの精神の素晴らしさは以下3つに集約されると思う。それが、
「圧倒的自分主義」 「常識を疑え」 「無礼講のちマブダチ」 
だ。

①圧倒的自分主義

私にはギャルを自称する友人が数名いるが、彼女たちに共通するのは「やりたくないことはやらない」ということである。まあ当たり前のように遅刻してくるギャルとかもいるしそれはそれでどうなん、って感じでもあるんだけど、マジで自分軸で生きてますねあの人たち。そして楽しそう。先述したギャルの定義の、「ファッションやライフスタイルが突飛と見なされながらも、それらが同世代にある程度文化として共有されている」っていうのも、周りの受けがよくないファッションでもやりたいからやっているという強い意識のあらわれで、最近よく聞く「あざとい」とは完全に逆で「自分ファースト」なのである。あざといを否定するつもりは全くないが(それはそれで生存戦略の一つ)、「自分のやりたいことを思うようにやる」というのは社会人をやっているとおろそかにしてしまうことも多い。所属している組織も追いかけている男も、自分以上に自分を大事にはできないし、自分の意志決定を他人軸で進めすぎると自分を見失ってしまう。そして失ったときに手元に残るのは「振り回されて下してきた判断の歴史」である。そのリスクも鑑みて、「私がやりたいんだからこれをやるんだわ」と言える自分を持っておきたいと思う。

②常識を疑え

ギャルとの会話に登場する構文TOP3にあげられるのが「てか○○じゃね?」である。(※偏見です)○○の部分には主にだるくね、とかが入ると思うのだけど、この構文、よく考えてみると「世の中に広く認知されている事象、現象に対する問題提起」を秘めているのである。若干話が飛躍しているような気もするが、先述した「やりたくないことはやらない」という精神には常に「当たり前とされていることへの懐疑」が含まれている。漫画に出てくる不良少年が学校の行事をサボるイメージに近いが、「なんとなく慣例だから」「偉い人がこう言っていたから」続いている事の中にも、原点に立ち返ると不要だったりすることも考えてみたら多いのかも知れない。無駄な会議などもどんどん減らせるのではないだろうか。
また通常ありえないとされてきた方式を取り入れる際にもこの構文は活用可能である。「○○を○○でやってもよくね?」「○○って実は○○じゃね?」などなど。アイデアを出すとき、頭の中にギャルを降臨させてみると案外コペルニクス的転回が起こるかも知れませんよ。(やっぱり話飛躍したな)

③無礼講のちマブダチ

ギャルタレントを思い浮かべたときに、「タメ口」を特徴にあげる人も多いのではないかと思う。ローラが出はじめで黒柳徹子にタメ口をききまくっているのを見たときはこっちがヒヤヒヤしたし、藤田ニコルちゃんにも最初はあまり良い印象を持っていなかった。しかし彼女たちは今では広く愛されているし、大御所からの覚えもめでたい。これはそもそも敬語が「距離感」の言葉づかいであるためだろう。敬語を使うことで、あなたのことを敬っていますよ、軽んじていませんよ、というポーズを示すことはできるが、逆に腹を割って話している、という感じを示したり、頼ったり頼られたり、という関係性に発展することは難しい。初手から敬語を使わないのは常識のない、失礼なやつだ、と思われるリスクがあるが、その先の関係性に進めた場合、ぐっと距離を近づけることができる、いわば「ハイリスク・ハイリターン戦法」なのである。もちろんただタメ口をきけば良いというのではない。愛し信頼されるギャルには、「素直に人の話を聞き入れることができる」「情に厚く卑怯なことが嫌い」などの要素が不可欠だろうし、自分の利益のために近づきたい、という気持ちが見え隠れした瞬間、この戦法はむしろ逆効果ともなり得る。ただ、この人とは腹を割って話してみたい、そう思えた相手に少し頼ってみる、などの取り入れ方は活用可能なのではないだろうか。

おわりに

さて、ここまで書いてきたが、ギャルを愛し、ギャルについての突飛な活用法を考える私も考えようによってはギャルかもしれない(たぶん明日見返したら何言ってんだ?ってちょっと思う)。なにかと堅苦しいこと言いがちなこの世の中、組織に一人はギャルを入れて風穴をあけてみてはいかがでしょうか。


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