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銭湯で育む自主性

今日番台終わりにお風呂に入っていると、お母さんと小さな女の子の会話が耳に入った。
お母さんがその子に「自分のタイミングで出ていいからね」と言うと、その子は「もうちょっと」と答え、数を数え出した。

「いーち、にーい、さーん」


私も小さい頃、よく母に連れられて銭湯に来たのを覚えている。

サウナ好きな母は私を残し、サウナに繰り返し入る。

一人っ子で兄弟のいない私は一人、色々なことをして母を待っていた。

私の社会性や社交性の一部は銭湯で育まれたと言っても過言ではないだろう。

同じくらいの年の子どもを見つけては、「お友達になろう!」と声をかけまくり友達作りに励んでいた。

そこで出来たお友達はその日限り、いやその銭湯限りのお友達だが、さまざまな子に出会えた。

快くお友達になってくれておもちゃを貸してくれる子がいたり、兄弟を紹介してくれる子もいた。
断る子もいたし、無視する子もいた。

元々一人っ子だということもあり、友達が出来たらラッキーくらいの気持ちで声を掛けていたので断られても特に気にしたことはなかったが、断られる回数が多い日はさすがに落ち込んだ。

メンタルの強さも銭湯で培ったとも言える。

完全に単独行動でお風呂を楽しんでいる私におばさんが声を掛けてくれることもあった。
ある日母がサウナを出るとそこに私はおらず、慌てて脱衣所に行くとおばさんといちごミルクを飲んでいたという事があったらしい。
私もなんとなくだけど覚えている。 
小太りの優しげなおばさん。
今だと知らない子どもを勝手に連れて飲み物を買うなんて大問題だけど、当時はそういう事も許された。
おばさんとおいしいね〜なんて話しながら飲んだいちごミルクは特別な味がした。

慣れてくると母があと少しでサウナから出てくるからそろそろ出る準備をしようとか、次はあのお風呂に入ってその後体洗ってとか、自分で考えるようになっていた。

そんな感じで私は友達を作ったり、おばさんと話したり、お風呂を楽しみながら、銭湯での過ごし方を自主的に考えていたんだと思う。

幼いながらに自分のことを出来る範囲で行い、自分なりに考え行動していた銭湯の思い出が蘇った。


「はーち、きゅーう、じゅうっ!」

十数え終えると、女の子は湯船から出た。

私が働いているこの銭湯もこの小さな女の子の自主性を育む場所になっていたら嬉しいと思った。

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