やんぐとないけあらー

看護師として在宅医療に6年関わってきました。 母子家庭・一人っ子なのでいつか親の介護は…

やんぐとないけあらー

看護師として在宅医療に6年関わってきました。 母子家庭・一人っ子なのでいつか親の介護は来るものだと思っていましたが、実際なってみると 思いがけない想いがこみ上げてきました。 自分の気持ちの整理の意味も込めてここにまとめていきます。

最近の記事

介護保険審査

介護保険審査の日。 ケアマネさん・包括支援センターの担当さん・訪問看護さん・訪問介護さんが実家に来た。 これまで何度か見てきたことがあった風景だけど、初めて家族としての立ち会い。 事前に母にはあまり頑張って答えないように、と話しておいたけど、いざとなるとやはり母はシャキッとしながら答えていた。事前に電話で母の性格と現状を役所の方にお伝えしていたので、母へのヒアリング後に母の居ないところで状況ヒアリングをしてくれた。足がふらついて買い物ができない事、自炊は難しくなってきたことを

    • 断捨離①

      母が好きだった陶器。 ガラスの食器棚が我が家に二つあるけれど、東京の我が家には持っていけないし、私の趣味とも違う。 これらをどうしたものか、と思いリサイクル業者さんに見積もりにきてもらい、食器の一部は売却。 とはいえ、イタリアで購入したベネチアグラスは4脚セットでも売れなかった。 割れ物の処分は大変で、地元のリサイクルセンターに行くのも気が重い。 こういうのを見ると、自分の持ち物を最適化とかお金を出しても価値あるものを大事に長くが良いなあと思う。

      • 介護申請前の準備

        介護申請は母のかかりつけ医の内科の先生、夏に母を診療してくれた医師にお願いしようと思い、電話で病院に確認。外来は予約しなくてもOKとのこと。 地域包括支援支援センターのハヤシさんにこのことを電話でお伝えして、外来受診の後で地域包括支援支援センターに母と寄らせてもらい、介護申請したいと伝えた。 ハヤシさんは母の主治医の先生のこともよく知っていて「すごく前向きな先生で、普段は患者さんを励ましてくれるからすごくいいのだけど、介護申請の時も、まあこれぐらいいいんじゃない?とポジティブ

        • 母との会話

          母と私は性格が全然違うので、電話で話すだけだと私の口調が強くなることは予想ができた。叔母たちから「お母さん、最近今までなく口調はキツく苦なることがあるんだよ。前はあんな言い方しなかったのに」と聞いていたので母も感情のコントロールが以前とは違うかも知れないとも感じていたので、叔父叔母・いとこからの話を聞いてから一晩経ってから電話した。 夕方以降は自分の感情も高まるかも知れないと思い、11時という昼間の時間帯で、コーヒーも淹れてリラックスした状態で電話した。 母に夏の体調不良の

          地域包括支援センター

          母は今まで自分で生活がきちんとできていたので、介護保険は支払いながらも介護は不要だったので、こう言う時に相談するのは地域包括支援センターになる。 地域包括支援センターって、何するところなのだろう?と私も在宅医療の時にはなんとなくしかわかっていなかったのだが、二年前に知り合いの医師に頼まれて病欠の人員の代わりに看護師免許を使ってお手伝いに行ったことがあった。その時に「地域包括支援センターってこんなに色々なお仕事をしているのね!!すごいっ!!!」と、改めて業務内容の広さを知った

          地域包括支援センター

          脱水なのか? 認知症なのか?

          叔父Aからの電話で、母が夏の下痢した頃から言動がおかしくなったとの連絡。一応在宅医療の端くれにいたので、知り合いの認知症専門医が高齢者は脱水になってせん妄と言う状態になると言っていたことを思い出した。 せん妄は、一般にはあまり知られていないが、せん妄の場合は急激に発症し、数日から数週間で治まるもの。数ヶ月も継続していることや、受け答えの一部だけが正常ということから「認知症かもしれないなあ・・・・」」と 初めて自分の親が認知症かも??という考えで頭の中いっぱいになった。 と

          脱水なのか? 認知症なのか?

          親の認知力低下!?

          ある日、珍しく実家近くに住む叔父A(母の弟)から携帯に電話がかかってきた。 夏頃に母が体調を崩し、下痢がひどくてかかりつけの病院で点滴をしていたと言う。その頃から言動がなんだかいつもと違うと言う。最近電話で話したのは4日前、母の86歳の誕生日だった。その時は声はかすれていたが受け答えはいつも通りだった。とはいえ、元々母と私は性格が全く違い、一人娘と言っても母とは話が合わないことが多く、日頃からそんなに連絡は密ではない。年に2〜3回、岡山の夫の実家に帰省する途中名古屋で待ち合わ