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イスラエルでM16自動小銃を撃った話(1)

「君たちは今から軍の指揮下に入った。よってこの基地から帰すわけには行かない。」

1998年2月。イスラエル某基地内での出来事。映画でもめったに聞かないこんなセリフだが、言い放った僕の目の前の士官は真顔だ。同行していたユダヤ人たちが一斉に悲鳴を上げ、両手を振り上げて大げさなジェスチャーで抗議をしはじめた。日本人の僕が、なぜこんな修羅場にいるのか。ここに至るまでの、些細な出来事の分岐点が頭を駆け巡る。

遡ること10ヶ月ほど前の1997年4月。聖書を原典で読みたいという情熱に溢れていた僕は、バックパッカーよろしくテルアビブのベン・グリオン国際空港に降り立った。
旧約聖書が書かれているのはヘブライ語。あのヘンテコな文字を原典で読めるようになれば、人類の叡智の深層に辿り着くはず。そう考えた。
政府の交換留学かって?そんなたいそうなご身分ではない。たしかに大学は出ていたが、学部は法学部。言語学や宗教学を専攻していたわけでもなければ素養があったわけでもない。

無謀とも思えるこの行動には伏線があった。当時、沢木耕太郎の『深夜特急』という紀行小説が若者を魅了していた。この小説の中で主人公の「私」は、かつてのシルクロードの道のりを、乗り合いバスだけを乗り継いでたどっていく。
筆者の沢木耕太郎自身の旅行体験に基づいて書かれたこの小説が数年前に完結し、1990年代の半ばには文庫化もされていた。どの古本屋に行っても容易に手に入ったこの本を神田の古本屋で手に入れ一気に読んだ。それは未知の世界を見てやろうという僕の野心を、いやがおうにもくすぐった。

「気がついたときには片道分の旅費を持ってイギリス・ヒースロー空港行きのジャンボジェットに乗っていた」と言ったら飛躍し過ぎか。でも実際にそうだった。時はまさにバブル経済が弾けたあとで、なんともいえない閉塞感が日本の国内には漂っていた。こじんまりとレールに乗って就職することにそれほど魅力は感じなかった。予備校のアルバイトで小金を貯めていたことも気持ちを後押しした。

つい最近、エルアル航空(イスラエルの国営航空会社)の直行便が就航したと話題になっているが、当時は日本からイスラエルへの直行便はなかった。ヒースロー空港で飛行機を乗り継ぎ、ユダヤ人とイギリス人観光客で一杯の機内で数時間を過ごした後、僕はついにベン・グリオン国際空港にたどり着いたのだった。

(2)に続く


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