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私につながっていなさい

私が小学四年生のとき、母が病に倒れた。父は早くに天に召され、母は女手ひとつで私たち兄妹4人を育てていた。「母子家庭だから」と後ろ指を指されたくない、そう思って無理を重ねていたのだろう。母の顔は日に日に土気色になっていく。やっと医者に診てもらった時には、一刻も早く胆のう摘出手術をしなければ命の危険さえあると言われた。身寄りの少なかった私たちはそれぞれ、親戚や篤信なクリスチャンの友人に別々に預けられることになった。

私は同じ教会に通う教会員のご家庭に預けられた。歳の近い子どもたちが住んでいたこともあり、最初の数日こそ楽しく過ごしたが、しょせんは肩身の狭い居候生活である。他人の善意に甘えていることは幼心にも理解していたので、やがて全てに遠慮がちになった。ひと月、ふた月が過ぎても母は退院する気配がない。このまま家族が離れ離れになるのではないかという漠然とした不安が、重く心を覆っていった。

そんな私を見かねてか、ある時おばさんが自分の好きな聖書の箇所を教えてくれた。

「私はまことのぶどうの木、あなたがたはその枝である。」「私につながっていなさい。」「その人は実を豊かに結ぶようになる。」

現実は家族がバラバラになり、明日どうなるかもわからない境遇だった。そんな自分に「私につながっていなさい」と語りかけるその言葉。心地よい旋律のような響きは私の脳裏に刻み付けられた。しかし、それが聖書のどこに書いてあるのか、その時はおばさんに遠慮してついに聞くことが出来なかった。

それから程なくして母は退院し、幸いなことに私たち家族はまた一緒に暮らすことができるようになった。血色の戻った美しい母の頬っぺが嬉しかったのを覚えている。

わが家に帰った私は、学習机に立て掛けてあった自分の聖書を、ほとんど初めて自分の意思で開いた。あの言葉はどこに書いてあるのか。パラパラ漫画の落書きが端に描いてある聖書のページを、漫画には目もくれずにめくっていった。

学校帰りの午後、数日を要したと思う。族長アブラハムの物語が終わり、私と同じ名前の預言者エリヤの物語も過ぎた。イザヤ書の預言の言葉がなんとなく似ていて、読み落としたかともう一度読み返したがあの言葉は書いていなかった。

そしてついにイエス様の物語である「ヨハネによる福音書」の中に、その言葉を見つけた。小声で声に出してその箇所を読み、それから声を押し殺して泣いた。その言葉を言ったのは・・・十字架刑で殺される直前のイエス様だったのだ。「私につながっていなさい」。この聖なる御言葉はその時私の一部になった。

あれから時を経て、言葉の力を信じる者になった私は本屋のオヤジになった。それも聖書を売っている特別な本屋だ。私は今日もお客様を心からお迎えしている。あの時の可哀想だった自分を救ってくれた「聖書」の言葉を、今は手渡す人になっているのだから。

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