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柔らかく死にたい。2020年、秋。

自分の好きな歌に、こんな歌詞がある。

「生きていくなら やり方は命の数だけ」

生き方に決まりはなく、人それぞれ、自分の
思う道筋を歩めばいい。
優しさに溢れた、素敵なフレーズである。

では、「死に方」はどうだろうか。

私たちは皆平等に、最期を迎える。
冷たい冷たい、「肉の人形」になる。

残忍で残酷な例外もあろうが、結局、
行き着くところは同じく、「死」という
一点に集約される。
「死に方」は、さほど選べない。

こんな暗澹とした内容を、ふとした時に
強く再認識する。
こと、不安が重なり、己が将来に希望が
持てず、鬱々と悩み耽っている時に限って、
頭によぎる。

暗い心持ちの中で考えるべき事柄ではない
のは百も承知ながら、この「死のテーマ」は
不意打ちで襲ってくる。
最初は振り切ろうと試みていたが、あまりの
しつこさに最近は諦めた。


「まぁ、人は死ぬよなぁ…」


そう諦め、受け入れた時に、こんな気持ちに
なった。

「せめて、柔らかく死にたい。」

「柔らかく」
とは一体何なのか?
正直、自分でもよくわからない。
本能的な欲求だろうか、無意識に唐突に、
この言葉が浮かんできた。

とりあえず、今の私は「柔らかく」
死にたいらしい。
死にたいらしいが、どう表現したものか。
少し考えた結果、こうなった。

悔いは残るが、まぁいいや。
未練はあるが、まぁいいや。
これで良かった。これが良かった。
ありがとう、みんな。ありがとう、わたし。
さようなら。さようなら。


…どうだろうか。
自分としては、しっくりこない。

が、生者たる私にとって、「死」は未知数、
考えるだけ無駄である。
ひとまず、これでいいだろう。

これから先、標のない道のりの中、
自分はどう生き、どう死ぬのか。
さぁ、私は「柔らかく」死ねるだろうか。

「死」を直視したことで、ほんのりと
最期に興味が湧いた。
悪いことではない、はずだ。

そう、最後に念押ししておくが、決して
希死念慮の現れではないし、誰かを闇に
後押しするものではない。

この記事を読んだ方には是非一度、
生と死を並べて考えてみてほしい。
何かしら気付きがあるに違いないだろう。

それでは、また次の投稿で。















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