わたしは人類の為になんて生きていない(お題箱の人生相談返信)

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お久しぶりの長めの人生相談をいただいたので、わたしも長めに答えます。


20歳!若い!成人おめでとうございます。死なない程度に酒とかタバコとかやってこ。苦手なら無理せず好きなことやってこ。逮捕されると実名公開されるからそこだけ気をつけてな。

ちなみにわたしは質問者さんよりも結構長く生きています。だいぶ良い歳。
それでいて、これまで恋人がいたことなんて一秒たりともありません。イキリな訳でもノーカンがある訳でもなんでもなく、本当にないです。ウケる。
この話を会社の人とかにするとよく驚かれるのですが、それは
「こんなに良い人なのに!?」
とかではなく、
「普通に2×年も生きてきてそんな事あるのか!?」
の方だと思う。だってわたし自身周りを見るとそう思うし。こんな消極的な理由で天然記念物になってしまう日が来るとは思っていませんでした。

その前提で回答を読んでいただけると幸いです。
キモヲタ陰キャの極み、見せてあげよう


まず、自分の容姿にコンプレックスがあるとのことでしたが、それを努力で解決しつつあるのめちゃくちゃ偉い!沢山悩んでいる中でも「自分が一番自分のことを好き」と言えるのはものすごいアドバンテージです。
生き方とか在り方、価値観について考えるときに自己肯定感の高さは最初にぶつかる大きな壁だと思うので、そこを今ある程度越えられつつある時点で、あなたは自分で考えているよりも大きく前に進めているかと思います。
思い返してみれば、わたしも大学生の頃「可愛くなろう!」と一念発起した覚えがあります。そのときは100パー自分の為、「可愛い服を可愛く着られるようになりたい」ただそれだけのためでしたが……
文章を見る限り、まだ完全な解決には至っていないと思いますが、今のすがたをできるだけたくさん写真に収めておくことをお勧めします。自撮りで大丈夫、ユーライクとかフォトショとか通して全然良いです。何故こんなにも勧めるかといいますと、わたしは20前後のころ本当に写真が苦手だった故当時の容姿の記録をほぼ残さなかったことを未だに後悔しているからです。
ピアノの発表会できれいなドレス着て撮った写真も処分しちゃった。
家中探してもまともな写真なんて成人式の前撮りのものとかしかない気がする。
多分今の方が化粧も上手いし服も選び方マシになってるはずなんだけど、若さとその時の初々しい感じはもう二度と戻ってこないんだよなあ、てたまに思い出しては昔のスマホのカメラロールとか掘っくり返してみてます。でもないんだよなあ、撮ってないんだから。
2~3年前からやっと自撮りを覚えて、覚束ないながらも記録をしていくようになりました。わたしも自分の顔や体型あまり好きではないのですが、向き合ってはじめてわかる意外な良さとか、逆に「もっとこうすればマシになるのでは」みたいなのも出てきて、以前よりちゃんと自分と向き合えるようになった気がします。あとほんの少しですが、笑うのが上手になった気がします。少しだけ。


「彼氏がいないし友達も多くない」
わたしもでーす。友達の判定はガバガバなので友達と呼べる人間自体は多いと思っていますが、兎にも角にもこまめな連絡とか人付き合いを面倒くさがる上出来るだけ自分の時間を大事にしたいみたいな性格なので、いざ自分が死んでも葬式に来てくれる人は片手で数えられる程度……もしかしたらゼロかもしれません。
そもそも人間関係のものさしに一番に出てくる行事が葬式である時点で己の人間性の破綻が露わになっていく感じがしますね。嫌な自己分析がまた進んでしまった。
ていうか友人の結婚式というものの報せを未だ受け取ったことがないので、これは本当に現在進行中の友達いないな。もはや笑うしかない。

質問者さんは今20歳でしたね。
高卒ならば社会人2年目、大学生ならば1~2年生。
今、じぶんの周りの人たちの歩く速さがものすごく怖くなっていませんか?
何でこんなことを聞くのか。それは、わたしが20歳だったころ本当にこれが恐ろしかったからです。なんならその恐怖は社会人になってからも数年自分に付き纏いました。今も若干怖いです。

抽象的な質問をしてしまったので、具体的に書きます。

高校生の頃。まだぼんやり生きてた時のこと。
同じアニメとか漫画が好きな友達と動画見たりオタクの話して、
「一生彼氏とかできないわー」
「うちらずっとこんな感じなんじゃね?」
「ワロタ」
とか言いながらスカート履いてんのにガニ股で椅子座ってやっすいお菓子とか食べながら笑い合っていた時。
卒業式の日も、別に今生の別れとかとは誰も思っておらず、
「また絶対遊ぼうね」
「いつまでもこの感じでいような」
って適当な感じでバイバイして。

で、そこから数ヶ月とか一年とか経って。
同窓会をしようって話が出て、久しぶりに会うの楽しみだなーとか思って行ってみたらみんな髪が明るい茶色になってて。
この前まで窓際で一緒にBL漫画読んで騒いでたあの子も何だか垢抜けてて。
彼氏ができたって話してて。何なら浮気したとか寝取られたとか生々しい話もし始めて。
よくよく話を聞いていたらみんな普通に彼氏がいて、サークルでできた沢山の友達とも毎週飲み会とかしてワイワイやっているようで。
虚勢張って「わたしは何も変わってない」アピールをしても虚しいだけ。
挙げ句の果て気まで遣わせて、みんなに恋愛の話題を振る中でわたしにくる質問は「今何のジャンルいんの?」

……いや、みんな高校出た瞬間人生ゲーム加速し過ぎでは?
ルーレット2回まわしてんのか?止まるコマ全部赤いのか?
彼氏とか彼女ってそんな全員ストップのでかいコマだったか?

みんなでお昼寝していて気持ちいいな……もう少し寝てたいな…って思いながらぼんやり目を開けたら、自分以外の人たちはみんなもうとっくに着替えて外にでかけてしまっていたような気持ち。

なんか全部怖くなっちゃって、それ以来同窓会自体行ってません。
ていうか、まだやってんのかな。
LINE消しちゃったからもう死んだと思われててもおかしくないのですが……あっ、結婚の知らせが来ないのこれのせいか。そりゃ来ねえわ。ごめん。
(@数少ない同級生フォロワー こんなん言ってますが個人個人のことは大好きだし、気の知れた少人数での会合なら顔出したいのでもしまだ愛想尽かしてなければ呼んでいただけると嬉しいです。今無職なのでそこそこ暇です)

今思えばこの時点でだいぶ拗れていたのですが、わたしは音楽大学というやや特殊な環境に身を置いていたのが幸いして、何とか捻じ切れることのなく大学時代を過ごせた方かと思います。
といいますのも、音大ってものすごく課題が多い上練習に取られる時間がかなり多いので、恋愛している暇などおおよそないような人が大半を占めている場所です(いやわからん、わたしの周りがそうだっただけかもしれん)。あと男女比にかなり偏りがあってみんな偏屈な人間だからそういう関係が生まれにくい。
そして何より、「あなたはあなた、わたしはわたし」の考えをある程度みんな持っていることにだいぶ救われました。芸術家は個人主義で極度のマイペースな人が多く(生徒だけでなく先生でさえも)、それくらいの割り切りというか心の余裕を持っていないと逆にまともで他者に期待しすぎる人間の方の気が狂うような、そんな空間でした。

そんな大学で四年間のモラトリアム……なんて言ってられないくらい実際は人生で1,2を争う忙しさだったのですが、今思えば社会との折り合いをつける最後の休息だった気がするのでそこを汲んでこう呼びます……を過ごしながら、他の大学生やフェイスブックの友達を遠目に見つめては「本当にこれでいいのか?」「これは、わたしにも本当に必要なモノなのか?」と、自分に問い続ける日々を送りました。

とっても怖かったです。
自分がぼんやりと赦されながら過ごしている間に誰かが結婚してしまうのが。誰かが出産するのが。
友達だと思ってた人がひとり、またひとりと自分が知らない何かになっていくのが。
焦りました。
友達ってやっぱ多い方がいいのか。彼氏いないのはやばいのか。
このまま全部置いていかれて自分だけレールどっぱずれたまま灰色の人生を送っていくのか。
でも気にかける人数が多いとキャパオーバーするし、恋愛的な意味で好きになる人間もいない。
わたしは人間に必要な能力が欠落しているのでは?
何かずっとそんな事を考えていました。何なら今も考えていますが、当時の重さは段違いだったと思います。

多分自我の境界があやふやだから起こる悩みなのでしょう。水分を多く含んだ絵具のようなこころは、すぐ隣の絵具に触れた途端にじんで、どこからどこまでが自分の色だったのかよくわからなくなる。
もちろんこのままみんなとうまく混ざり合って綺麗な新しい色をつくりながら水彩画のような人生を歩んでいくこともひとつの良い選択です。寧ろ人間関係ってそれが本来の正解な気もする。
でも、わたしは人と色を混ぜあって生きるのが合わなかった。
みんな水彩絵の具を持ってきているのに一人だけ0.03mmのミリペンを持ってきてましたみたいな。
もうしょうがないからそれでがりがり描くことを選んだ。それだけです。
自分は自分。他人は他人でそれぞれ好きに生きる。
それがわたしの出した、生き方の答えです。

さて、人と関わって、交わって、水彩画のような人間関係の構築をする事が『正解』と言いましたが、これはあくまで『生物としての正解』に過ぎません。

人間とは……以前に、生き物は、生まれて殖やして育てて、を繰り返すことで繁栄していくものです。ていうか、それだけです。
今現在生き残っている生き物はみな、地球の壮絶なる生存競争にこんにちまで勝ち抜いてきた強豪ばかりです。人間だけでなく、犬も猫も虫も、たぶんなんちゃらウイルスとかも、本能として「子孫を遺す」使命が刻まれているからこそ今日まで生き残って暮らしているわけです。
人間の場合はその使命の遂行方法が交尾しかないので、それができた人間の遺伝子だけが次世代に引き継がれます。今少子高齢化とか言われておりますが、これを食い止めるためには少しでも多くの人間がこれをこなして引き継ぎ作業をする必要があります。だって人類という種を少しでも長く存続させる『正解』の手段は現状これしかないんだから。

で、話は戻るのですが、
自分が死んだ後の人類の繁栄とかのために自分の人生を無理に削れるか?

わたしは無理です。
わたしも質問者さんと同じ、子育てに消極的な側の人間です。

先述したように、世は少子高齢化。結婚する人間もどんどん減っている。
政府はあれこれ政策を出すけれど、国民は「そもそも子供を育てられる時間も金もないんだからそこを変えてくれ」と叫ぶ。
わたしはこういう世の流れを見るたびいつも思うのですが、

たとえ金と時間があっても絶対自分の人生の中にその過程を入れたくない。

子供そのものは嫌いではないです。質問者さんくらいの歳のころは正直ばちくそ嫌いでしたが、何故か自分は子供と犬にものすごく懐かれるのもあり、段々和解してきた気がします。でも自分が産んで育てるのは絶対嫌です。
というかそもそもその前段階の、パートナーを見つけることから正直もう無理です。大学生の頃からずっと悩んだ末、出た答えは「やっぱ無理」。

我儘かもしれません。
そういえばこの前辞めた会社の嫌な上司にも散々言われました。
「人は支え合わないと生きていけない」
「お前のご両親だってそうやって子供を産んだ」
「家族というものはいいものだ」
などなど。
セクハラじゃねえかとか今この瞬間お前が生きてるのは親より何より法律のお陰だからなとか言いたいことは沢山ありましたが、そもそも、

いや、わたしの人生なのですが?

自分の人生一度しかないのにそんな重要な分岐を人類の未来なんて正直知ったこっちゃないものに捧げるのは嫌だし、それで生まれた子も可哀想やろ。

子育ては、やりたい人がやればいい。
そしてこの言い分を通すためにも、子育てをしたい人が存分にできる社会が必要だと今は考えています。
わたしはわたしで素晴らしい人生を生きたいし、誰かさんには誰かさんのまた別の素晴らしい人生を謳歌して欲しいので。

新卒で入社したのは、不妊治療を専門としたクリニックでした。
子供が欲しいのにできない患者さんが来る病院です。
生理がちゃんと来ない。卵巣を片方切除した。だけどこの手に自分の子供を抱きたい。そんな電話を何千本もとって相談に乗りました。
ところで、わたしは子宮だけはめちゃくちゃ健康です。
生理痛が激烈痛くてたまに救急搬送されるけど、1ヶ月で10kg近く痩せても全然寝てなくてもまるで呪いのようにピッタリ周期で生理がくる、皮肉にも程があるくらい元気な臓器です。
正直これが欲しいのはわたしではないんだよなあ、これを必要としている電話の向こうのあの人に喜んでお渡ししたいなあ、今でもそう思っています。
低容量ピルを飲めば生理は来なくなるけど、なんでこんな自分に落ち度のないものに月数千円とか出して毎日薬漬けにならないといけないんだというところから既に解釈違いなんですよね。
でも、こんな病院まで来て大金をはたいてでも子供が欲しいと願う夫婦は本当にたくさんいて、この人たちはこの人たちで「自分の思う最高の人生」を目指して頑張っている。
世の中うまくいかないなあ……。

先ほどお話したとおり、己の生殖というものに非常に消極的なので、わたしも未だにこの感じで生理というものをポジティブに捉えられません。なんならこのまま偏食減量を続けて生理止められないかなとまで思ってるまであります。
もう少し子宮の移植とかが積極的に行われればいいんですけどね。あと何年かかるかなあ。生理、どうすりゃいいんだろね。ほんと。


だいぶ自分語りをしてしまったところで、最後の質問を回収します。
「人間関係に必要なものは何ですか」

無理をしないことです。

先ほどお話ししたように、わたしは水彩絵の具が主流のこの人間社会でミリペンを使う選択をしました。他の人とは交われない、見る人によっては邪魔だとすら思いそうな線で今日も好き勝手に人生をやっています。
でも、よくよく周りを見回してみると、実はミリペン使って人生やってる人って思ったよりたくさんいるんです。水溶性のインクではないから混ざり合うことはできないけど、お互いの描いてきた模様を見て「ええやん」て言うことはできます。すれ違う時に、なんか見たことない文様が偶然浮かび上がったりしてちょっとニコッ…と笑いあったりします。
もう少し目が慣れてくると、実はまだ出会っていないだけでものすごい沢山の種類の絵具が世の中を彩っていることがわかります。その気付きにまで辿り着く頃には、だいぶ気が楽になってるかと思います。案外世の中は水彩独裁国家ではありません。
疲れない程度に、周りを見渡してみる。
わたしも苦手ではありますが、現状としては人間関係って案外こんくらいでいいのかもなって思ってます。

質問者さん、あなたはまだ若いです。
今このクソ長い自分の葛藤を書き綴っていた人間はあなたよりも干支半周以上は長く生きてこの様です。どうかこの話を直接的な解決方法としてよりも「ある一人の人生をもととした参考資料」程度に読んでいただけると幸いです。
あなたの人生には、あなただけの描き方があって、それを選ぶのもあなたです。
どうか「こうしないといけないんだ」に縛られることなく、時間をかけて、それを探してみてください。まだ全然焦らなくて大丈夫よ。

そして最後に。
BLエロ同人描いてる分際で可笑しい話なのですが、今でも自分がよく知っている人物が登場する下世話な話がものすごく苦手です。絵空事の下世話な話が一番好きです。ていうか恋愛とか性とかを絵空事のものとして受け止めている節が少なからずあります。
あと最近気付いたのですが、わたしの同人誌には「付き合う」という概念が殆どありません。ていうか恋愛モノを描いてる自覚が本人にありません。愛の話はよくしますが、それは付き合うだとか結婚だとかそういうのとは何だか違う気がします。誰かが描いたものを読む分には全然いいのですが、自分の内面や記憶から絞り出せる要素にそれが全くないんだと思います。
おそらく「同人誌には描いた人間の人生が出る」というのはこういうのを指していうのでしょう。
自分の人生からとれた出汁は自分にしか使えません。
このだらだらと長いnoteだって、わたしから絞り取られた出汁です。
エンタメに昇華させれば何だって誰かの支えになる。そう思って生きづらい人生を面白おかしく生きてます。

人生っていうエンターテイメント・ショウってね
(Switch新曲イベ楽しみすぎる顔)

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