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「基礎練」の重要性

腕立て伏せをやる人がいます。腕立て伏せという競技のための実戦練習ではなく、何か別の競技のため、あるいは日常生活のための基礎的な身体能力を向上させるために取り組むわけです。(といいながら、肥満体の持田にはめっちゃ困難なものですが・・・)

「コミュニケーションのために英語を学ぶのだから英文法の練習問題は不要だ」だとか、「入試で文法問題は出ないから文法問題はやらなくていい」という声が聞かれます。中には「これからは訳読ではなくアクティブラーニングの時代だ」などという人までいます。これはもはや、「東京一極集中の時代は終わりだ。自転車に乗ろう!」といっているのと同じくらい意味不明です。

ある技能を身につけることを目標にした場合、その目標に到達するまでの過程というものがあります。その過程には必要な知識を身につけることも含まれますし、その知識を使う練習をすることも含まれます。時には、本来無意識に行っていることを、いったん意識化して練習することが必要になることもあります。文を理解するときに、人は文のしくみを無意識に分析しています。これを統語解析(parsing)といいます。この統語解析を意識的に行う練習がいわゆる「英文解釈」という営みで、意識的に行った統語解析の正しさを確認する手段として理解内容を母語で書き表すことがあります。これが「文法訳読法」という教授法・学習法です。品詞分解もこの過程のなかで行う意識的な学習のひとつです。

こうした学習を繰り返すことで、知識は脳の中に取り込まれ、統語解析も自動化していきます。そして書記言語によるコミュニケーションを支える技能となっていきます。

なにを意識化して取り組むべきかというところでは個人差もありもあります。しかし、言語学習において、実戦練習だけでなく、その手前のところの基礎練習が必要な状況というのは、多くの学習者が直面するものであるように思います。

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