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言語知識の「理解」の深さ

今回は、言語知識の「理解」の深さについてお話ししていきます。よく、「基本原理を理解する」などということが文法学習の文脈で語られますが、実際どの程度理解すればよいのかわからないと感じる人も多いようです。

まず確認しておかなければならないのは、この「理解」はことばを身につけて自信を持って使いこなすための手段であるということです。言語学研究者の「理解」とは質的に違うのです。ことばを身につけて自信を持って使いこなせるようになるには、文法や語彙などの知識についての「迷い」や「不安」をなくしていかなければなりません。この「迷い」や「不安」を払拭できるようにするための「理解」なのです。

たとえば、趣味で「模型を作ること」が好きだというときに、to build modelsなのかbuilding modelsなのかわからなければ、ここで「迷い」が生じます。これを乗り越えるためにはto buildとbuilding、つまりto不定詞と動名詞の違いを理解していけばよいのです。あるいは「会議で議論する問題」はthe problem to be discussedなのか、the problem being discussedなのか、the problem discussedなのか、あるいはこの3つはどう使い分ければよいのか。これも、to不定詞、現在分詞、過去分詞の意味の差を理解していくことで解決できます。

ただし、すべての学習者がすべての項目でこうした理解は必要というわけではありません。以前から述べていますが、丸暗記を積み重ねていくだけで直感的に正しくことばを使いこなせる人もいます。また、ふだんはしっかり理解しなければ気がすまない人でも、ある項目ではそのまま覚えて使いこなせてしまうということもあります。「手段としての理解」というのはこういうものです。ですから、同じ「理解」でもさらっと理解してしまう人と、ねちねちといろいろなことに疑問を持ちながら一つ一つ解決していく人とがいるのです。どちらの場合もそれがことばを身に付けて使いこなすことにつながっていっているのであれば適切な学びなのです。

「ことばの学び」における「理解」には、もうひとつ、「ことば」の背後にある文化や社会制度、言語政策などについての「理解」もあり、これも重要です。これについては、また機会を改めて述べていきたいと思います。

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