見出し画像

さけるチーズから見る反骨精神

 「意外と反骨精神があるよね」と言われて、私はドキッとしたんです。

 昔ならば、そう言われても仕方がないとは思っていたんです。反抗期には、その名の通りいろいろ反抗して参りましたし、今よりもだいぶ短気だったと思います。

 しかし、反抗して嫌な結果を招き、また反抗しては嫌な結果を招き、を繰り返しまして、あんまり反抗ばかりしていてはよくないんだなと考えるようになりまして、徐々に反抗するのを控えるようになり、現在に至ります。

 今では公的なところで怒ることはまずなくなりまして、我ながら大人しくなったもんだなあと思っていたところへ、冒頭の反骨精神発言が来るわけです。

 ドキッとした理由は、身に覚えがあったからです。誰かに間違いを指摘されたり、注意されたりすると、外見は穏やかに振る舞っているつもりですが、内心ムッとしていることが未だにあるんです。正しい指摘だと分かっていても、なんかムッとしてしまう。やんわり反論したこともあったでしょう。

 日々いろんなことを間違えて生きてますので、注意される時が当然あるだろうとは考えています。それを誰にも言われないのでは、成長する機会を逃してしまう。当然、間違いは指摘された方がいい。そう分かっていても、いざ注意されると密かにムッとしてしまう。そんなところを察知されたのだと思い、ドキッとしたわけです。注意ウエルカムみたいな態度をとっておきながら、内心はムッとしているのがバレたのだと。まだまだ修行が足りないと反省したわけです。

 それからしばらく経ってのことです。昼食時、私に反骨精神があると指摘した方とたまたま出会いました。それぞれ思い思いの昼食を食べていたんですが、何を思ったのか、その方は私にチーズをくれたんです。包装紙が透明であったため、棒状のチーズだとすぐに分かりました。

 私はチーズもそれなりに好きでしたのでありがたく頂戴しますと、さっそく包装紙をはがしまして、かぶりつきました。うん、うまい。すると、チーズをくれた方はこう言いました。

「なんでそのまま食うんだよ。『さけるチーズ』なんだから、裂いて食わないと」

 単なる棒状だと思っていたのは、さけるチーズだったんです。

 試しに軽く裂いて食べてみたんです。確かにうまいことに変わりはありません。しかし、先ほど丸々1本をかぶりついていた私には物足りなさが目立ちます。やっぱり、ひも状のものをチマチマ食べるより棒状のものをかぶりつくに限る。

 そんな私に友人はこう言いました。

「相変わらず星野は反骨精神があるよな」

 さけるチーズを裂かずに食べる反骨精神なんてあるんですか。こんなんで反骨認定されたら、この世は反骨で溢れ返ってるじゃないですか。

 まるで国家転覆を異様に怖れる独裁者みたいな反骨認定です。当然、そんな国はバリバリ監視社会がもれなくついてきて、ちょっとでも反骨を感知したら片っ端から逮捕連行、裁判なしで極刑に処してゆく。そんなノリで刑を執行しまくってたら国民がいなくなるんじゃないかというレベルで、バリバリやる国家。その独裁者みたいな反骨認定ではありませんか。

 とりあえず、この一件で自分の反骨精神についてであれこれ考えなくなりました。さけるチーズのお陰です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?